私たちのものごとの整理の仕方が、
リライトに向いていないからでは、
と考える。
私たちは世界を分類する。
博物学とは、世界にあるものを、
○○類○○科などのように、
カテゴリー分けすることが完成だ。
ある人の属性を考えるときも、
○○会社の○○部署の、
○○が趣味の人、
みたいな分類で記憶は整理されるよね。
ファイルシステムも同じだ。
○○の中の○○フォルダの中に、
進行中と済みのフォルダがあり、
その中に仕事ごとに分かれていて…
なんて整理をするだろう。
(余談だが、女の脳はこういう整理をするのが苦手な傾向がある。
地図が読めず、数学や物理が苦手なこともこのことと関係している。
で、だから、女のパソコンのデスクトップは汚くて、
このように整理されていないことがとても多い)
雑多なものごとを整理すればするほど、
その階層は深くなる。
銀座四丁目交差点と、
銀河系太陽系第三惑星アジア圏日本国東京都中央区銀座四丁目交差点和光前
との違いだ。
住所は典型的な分類整理の仕方だよね。
ところが。
この整理分類は、「一意ではない」。
一意とは数学の言葉だが、
つまり、分類の仕方は姿意的に決められたものに過ぎず、
絶対的な分類法があるわけではない、
ということを意味している。
仕事のフォルダを、クライアントごとに分ける人もいれば、
年度ごとに分ける人もいる。
○○社フォルダの中に、○○年度のファイルが分類されている場合もあれば、
○○年度の中に、○○社のフォルダ分けがされている場合もあり、
それは、「分けた人の考え方による」ということである。
絶対的な基準はなく、相対的であるということ。
そろそろ本題にいこう。
つまり、現在の原稿は、
ある考え方によって整理分類された、ある種の秩序を形成している。
これをリライトすることとは、
別の考え方によって、別の秩序に形成し直すことである。
つまり、
○○社/○○年度のフォルダわけを、
○○年度/○○社のフォルダわけに、
全1000ファイルぐらい仕分けしなおす、
みたいなことが、
リライトだということである。
この例では属性ABの順番入れ替えであるが、
新たな属性Cによる分類をしたり、
属性Aはもういらないとしたり、
属性Bの要素を複数にわけたりして、
別の整理分類の仕方に編成し直し、
要らないものは捨てて、
要るものは足したりする、
ということが、
リライトだということだ。
引っ越しに近いかもしれない。
組織の再編成に近いかもしれない。
住所システムの変更に近いわけだ。
そりゃあ、どこかで取りこぼしたりして、
矛盾が起きるよな。
引っ越しなら日々の生活の中で改善していけばいい。
組織なら、新しい部署を作ったり統廃合すればいい。
住所なら、ない番地がないか、歩いてチェックすればいい。
リライトは、それと同じことをするということだ。
リライトを、ちょっとした変更のように考えている人は、
これだけのことをやらなければいけないことに、
全然気づいていない。
だから付け焼き刃のアイデアで再構成しようとして、
その場面はうまくいっても、
その場しのぎにすぎず、
あとあと矛盾が起きたり、それ前提ならその前がおかしかったり、
いらない場面が出来たり、
必要な場面がなかったり、
前の残骸が残っていて邪魔していたり、
するのである。
これらを全部うまく行かせるには、
最初の整理分類の考え方が、
別の整理分類の考え方に変更した、
ということを認識して、
だとすると全ての要素はこの考え方の元に、
きれいに並べかえることが必要である、
と覚悟し、実行するしか方法はない。
それの、どこかが漏れたり見落としがあったりして、
リライトはどんどんノイズを溜め込んでいくわけだ。
それを直す前に次のリライトをしてしまい、
さらに歪みは増えていく。
それがリライトが失敗する、大きな理由である。
リライトするときは、
ちょっとした直しでキレイにうまくいく、
と思っていることが多い。
勿論それでうまくいくこともある。
本当はうまくいってないのに、
うまくいっていると勘違いすることが、
一番の誤りの原因であろう。
だが、そのちょっとした手直しが、
本当にそこだけでよいのか、
全てをひっくり返してやり直さなければいけないのか、
判断する一般的方法はないだろうね。
こういった整理分類の仕方をカスケードということもある。
アプリケーションの上のコマンドで、
ファイル/編集/○○などと並んでいて、
編集/コピー/形式ごとコピーなんてコマンドが出てくる、
そういうやつの構造をカスケード構造ということがある。
たとえば、行政の縦割り批判は、
すぐ近くにあるのに、管轄が違う、
つまり整理分類の仕方が違うからうまくいかないことを言う。
カスケード構造の問題だ。
従来の、火地風水の4分類によって整理されていた、
星占いは、13番目の星座蛇使い座を含めることで、
リライトされようとしたが、
考え方の整理がしきれずに、
結局元に戻ってしまった。
それくらい、
「別の考え方で再整理しようとしても、
あまりにも面倒、かつ、前の整理の方が分かりやすかった」
という理由で元に戻ってしまうことが多い。
つまり、リライトはこれを覆すだけの、
新しい整理分類のほうが、以前よりも本質的で美しく分かりやすい、
というものでない限り、
ほんとうはやるべきではないのだ。
ちょっと試してみよう、というのは悪くない行為だが、
それは火傷をするかも知れないということを、
覚えておくといいだろう。
この整理分類以外の、整理分類をするのが、
地図が読めない女の考え方だ。
これについて僕は完璧に理解していない。
だが、それは要するに女の書くストーリーのような、
整理分類の仕方であるということだろう。
「私のまわりで起こったこと」が中心であり、
「○○/○○/○○という分類で起こったこと」という階層構造を持っていない、
女のデスクトップのような話である、
ということではないだろうか。
だったらリライトは簡単だよな。
男と女の書く話、どっちが優れているとは言わない。
男が書く話だって女のように書いてもいいし、
女が書く話だって男のように書いてもいい。
整理分類しながらリライトすることが、
迷路にはまる理由だけ、
わかっていればよい。
2017年10月22日
この記事へのコメント
コメントを書く