ケンカを描こう。それはコンフリクトであり、
ストーリーの本質だ。
それよりも難しいのは、仲直りだ。
現代の人は、仲直りが苦手になったような気がする。
そもそもケンカしなくなったし。
ケンカというのは殴りあいではなく、
相手の否定のしあいだ。
現代の人はケンカになる前に、
その場から去ることを選びがちだ。
多分これが、「一回ミスしたらおしまい」みたいな、
現代の闇を生んでいるのではないかと思うけど、
それは本題ではない。
ストーリーを描くのが難しいのは、
ケンカを描くのが難しいからではない。
ケンカは書ける。
難しいのは、その後の顛末なのである。
前言撤回するところもあるし、
しないところもある。
ここは譲れないところもあるし、
譲れるところもある。
ケンカは、その境界線を炙り出すためにある。
ケンカして決裂するだけじゃつまらない。
仲直りさせてみよう。
そして、ただ元サヤに戻るのは、ストーリーではない。
それはいって戻っただけで何も進歩してないからだ。
ケンカして仲直りしたら、
以前よりも関係は深くなる。
実はそこのところが大事だ。
それは、お互いに譲れないところが以前よりはっきりし、
ここまでは譲れるとはっきりし、
お互いをより深く理解する過程のようなものである。
こういうのをいいケンカという。
女の作家はこれがうまいよね。
男のケンカは、実力のためしあいみたいなところがあって、
やるやないかお前、お前もな、
みたいな単純なものしかなかったりする。
それ以上の何かを、仲直りで描いていくと、
深いドラマを描ける可能性がある。
ケンカは、決裂するか、より深い絆になるか、
どっちかだ。
2017年10月23日
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