2017年10月23日

ケンカと仲直り

ケンカを描こう。それはコンフリクトであり、
ストーリーの本質だ。

それよりも難しいのは、仲直りだ。


現代の人は、仲直りが苦手になったような気がする。
そもそもケンカしなくなったし。
ケンカというのは殴りあいではなく、
相手の否定のしあいだ。
現代の人はケンカになる前に、
その場から去ることを選びがちだ。

多分これが、「一回ミスしたらおしまい」みたいな、
現代の闇を生んでいるのではないかと思うけど、
それは本題ではない。


ストーリーを描くのが難しいのは、
ケンカを描くのが難しいからではない。
ケンカは書ける。
難しいのは、その後の顛末なのである。

前言撤回するところもあるし、
しないところもある。
ここは譲れないところもあるし、
譲れるところもある。
ケンカは、その境界線を炙り出すためにある。

ケンカして決裂するだけじゃつまらない。
仲直りさせてみよう。
そして、ただ元サヤに戻るのは、ストーリーではない。
それはいって戻っただけで何も進歩してないからだ。
ケンカして仲直りしたら、
以前よりも関係は深くなる。
実はそこのところが大事だ。

それは、お互いに譲れないところが以前よりはっきりし、
ここまでは譲れるとはっきりし、
お互いをより深く理解する過程のようなものである。

こういうのをいいケンカという。
女の作家はこれがうまいよね。

男のケンカは、実力のためしあいみたいなところがあって、
やるやないかお前、お前もな、
みたいな単純なものしかなかったりする。

それ以上の何かを、仲直りで描いていくと、
深いドラマを描ける可能性がある。


ケンカは、決裂するか、より深い絆になるか、
どっちかだ。
posted by おおおかとしひこ at 12:49| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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