2017年10月30日

【カタナ式】手首は浮かせるべきなのか、つけるべきなのか

長年これは論争の的だ。


手首は浮かせた方がいい。
たしかに打鍵は軽くなり、自由になる。
しかし肘ごと浮かせるうまい仕組みがない場合、
そんな長時間腕を空中に置けない。
(膝上のメソッドは、腹に前腕をつけるので、
結果的に理想的な手首浮かしを実現する。
問題は、二時間そんな体勢を続けられないこと)

手首はつけた方がいい。
浮かせて疲れては意味がない。
一日数時間打ちっぱなしが仕事というものだ。
しかし、手の動きは制限されて遅くなり、
無理な角度にひきつりやすく、腱鞘炎の原因になる。


じゃあ実験してみよう。
「手首を浮かしたままの、トップスピード測定」。

カタナ式でのトップスピードを測定するとき、
僕は毎回同じ文章を打っている。
覚えるまで打ってないので、慣れの要素はあんまりない。

結果1092文字/10分。
なんと手首つけているのと、
同じ程度(ちょい遅い)だった。

これを体験して分かったこと。

・よく使うフレーズを打つときは、手首を浮かした方が速い。
・打ち慣れていない言葉を打つときは、手首を浮かしていると、
浮わついてミスが増える。
・10分間手首を浮かしたままは出来ない。何回も手をつけて休みながら打つ瞬間があった。

なるほど。幻想ほど手首浮かしはたいしたことない。
(僕が普段手首をつけているのにも関係あるかも)


で、結論を言うと、

・普段は手首をつける。
(手のひらは浮かせるように、リストレストのみとする)
・打ち慣れた言葉は、手首を浮かして一気に。
(たとえば「ということで」「かも知れない」など)
・打ち慣れていない言葉は、手首をつけて慎重に確実に打つ。

という「使い分けをする」というのが良さそうだ。
なんだ、当然の結果かあ。
何事も数値化してみると幻想が崩れるものだね。


手首をつけるのは慣れてない言葉、
というのは新しい知見だ。

打鍵経験があればあるほど、
打ち慣れた言葉は増えていく。
このことにより、年単位の熟練には意味がある。
熟練者は手首浮かしっぱなしになる、という予測が立つ。
配列固定が条件だけど。


ピアノでも、弾きやすいフレーズとそうじゃないのがあるのだろう。

ピアノは同じ曲を練習するが、
文字を書くのは、毎回違う打鍵をする。
名詞や言い方などは、特定のジャンルをよく打ってれば、
慣れたフレーズになっていくだろう。
ローカライズ最適みたいなことかね。
方言もそうやって生まれたんだよね。

バベルの塔は、こんなところにもある。
posted by おおおかとしひこ at 12:03| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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