すごく当たり前のことなんだけどね。
デッサンにたとえて書いてみる。
人体のポーズが描けないというのは、
わりとよくある初心者の悩みだ。
でもそういう人に限って、
関節の位置や、パーツの大きさの比率を知らない。
歩くときにどう関節が動いているか、
座るときに関節がどう動いているか、
体重をかけるときとかけないときは何が違うのか、
などを知らなかったりする。
あるいは、モデルのポージングを知らなかったりする。
モデルの美しい歩き方を知らなかったりする。
ペンを持つ手を描くのは難しい。
でも柚比の間接や比率を知らないと、
どう指が曲がっているのか、描けない。
人体の骨格や筋肉を調べて、一回絵にかいてみるのは、
そういうことを理解するためだ。
背骨はどういうアールを作っているのかとか、
背筋がどうついてるかとか、
太股の筋肉のつき方とか、
なかなか理解しないとかけない。
首がどっちにどこまで曲がるのか、
それを知らないと自然な顔の角度はかけない。
これ以上曲がるわけがないとか、
判断できないとデッサンはすぐ狂う。
デッサンは、理解するためにする。
軽く描いてみるのは、
それらがどのようなパーツからなり、
どのように相互作用するか理解するためにやる。
人体以外もそうだ。
建築物、バイク、金属、布、水の反射。
どういうものがどういう構造で、
どう相互作用しているか理解しないと、
絵は描けない。
これは、ストーリーも同じということ。
こういうとき人間はどうするのか。
こういうとき社会はどうするのか。
どういう文脈があり得るのか。
どういう行動があり得るのか。
どういう世界の常識があって、
どういう非常識があるのか。
それはどのような理由に基づくのか。
どういう成功があってどういう失敗があるのか。
それらはどう、なぜ、違うのか。
どういう言い方や知恵があるのか。
どういう過ちや無知があるのか。
こういうことを、理解していないと書けないと、
僕は思う。
正確にいうと、自分の知ってる範囲内のことは、
いちいち理解しなくても書ける。
理解してるからね。
ほとんど無意識レベルで書ける。
しかし、自分の知らない範囲のことは書けない。
たとえば僕はバット職人のことは書けない。
彼らの人生を理解していないから。
勿論想像である程度書けるけど、
本人からしたら全然分かってない、
と言われる可能性は高い。
人間を分かっているか。
社会を分かっているか。
人生を分かっているか。
作家とは、これらを、完璧にとまでは言わないが、
ある程度分かっている人のことをいう。
分かれば書けるかというと、
またそれはそれで違う障壁はある。
しかし分かってないことだけは書けない。
逆に、書くこととは、ここまでは分かっている、
というラインだと思うよ。
取材は広く深く。
自分が分かったという範囲までだ。
2017年11月02日
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