2017年11月04日

【カタナ式】なぜ人はキーボードの配列を変えようとしないのか

1. そもそも現状に不満を感じていないから
2. 新しい配列をマスターするのはコストが必要
3. そのコストに見合うリターンが読めない
4. そもそも配列が色々あることを知らない
5. どの配列が(自分にとって)合理的なのか、その基準を持たない

などが考えられる。


1. そもそも現状に不満を感じていないから

ほとんどの人にとっては、不満がないのかも知れない。
恐らく一日の最高打鍵文字は、5000字以下だろう。
フリックだろうがパソコンだろうが、
そんなに文字を書く人は限られている。

論文を書く学者か、ライターか、作家か、
プログラマーだ。

ビジネスマンは日々メールを書くだろうけれど、
一通が1000字行くことはないだろう。
複雑な話ならメールより電話がよく、
それでもこじれそうならあったほうが速い。
優秀なビジネスマンほどアポを取ることを仕事の一部と考える。
多分仕事で一日5000字打鍵するビジネスマンはいない。

だから、こういうものだろうと考えている。
え?そもそも不満なの?
まあでも現状でいいんじゃない?
というのが、殆んどの人の回答だろう。
そもそもキーボードに不満もったってしょうがないじゃない、
というかもしれない。
もっと大事なビジネスがある。

現状のキーボードはいろんな人の使い方の最大公約数に過ぎないから、
ちょっと我慢するくらい、公共物にはよくあることだと、
無意識な認識があるかもしれない。

少なくともQWERTYローマ字は不合理極まりない。
「QWERTYローマ字」とわざわざ名称を言っても、
殆んどの人は「日本語入力」の別名でしかない。

ローマ字かカナ入力しか知らなければ、
カナ入力が合理的とはとても思えない。
マスターするのは大変そうで、
片手間に日本語入力するには、現状のローマ字で不足があるだろうかと考えるだろう。

それは、
「たくさん書く」ということをしないからだ。

たくさん書く人は、必ずQWERTYローマ字の不合理の壁に突き当たる。
何故小指を酷使するのか?(A、エンター、BS、ESC、コントロール、シフト)
何故文字変換に連発するカーソルが遠いのか?
何故打ちにくい運指は改善されないのか?

日々の不満がたまるには、
それなりに書かないと実感できない。

論文一本が1万字として、
卒論しかこんな長文を書かない人は、
一生この不合理に気づかないかもしれない。

気づく人は、日々5000字以上生産する人だろう。



2. 新しい配列をマスターするのはコストが必要

気づく人は幸いである。
もっと合理があるはずだということが、
直感で理解できるだけのかしこさがある。

しかしどうやって調べればよいのか、
なかなか分からないはずだ。
で、目の前のカナ入力に気づくのだが、
この習得コストは相当でかいぞと、恐れおののくだろう。
僕もカナ入力をマスターするつもりはない。
これは、我々の文章を書くという労力に対して、
コストが大きすぎると思う。

で、殆んどの人はここで諦めてしまう。
もう少し調べる能力があると、
親指シフト(通称。正式名称はニコラ配列)なるものがあることに気づく。
どうやらいいらしいということが分かるので、
これをマスターしようと思う人は結構いると思う。

しかしね、配列図を見て萎えるのだ。
このコストは、どれくらいかかるのだろう?と。


3. そのコストに見合うリターンが読めない

現状のQWERTYでいいじゃん、こんな量マスターするのに、
一ヶ月?もっとかかりそう、と尻込みする。
ダイエットを三ヶ月続けたり、
英会話教室を三ヶ月続けたりすることは、
殆んどの人には難しい。
それは、新しいことを習慣化しなければならないからだ。

その習慣化の先に、どんなドリームが待っているか、
なかなか見えないと覚悟が出来ない。
ダイエットに成功したら痩せてモテる、健康になる。
英会話が出来たら留学が出来るし、海外とビジネスが出来るかも。
そういう過大な期待含めて、努力のモチベになる。

だけど、日本語入力に関しては、
「日本語入力が合理的になる」というドリームだけだ。
どのような合理があるのか?
そのリターンは何か?

なかなかそれが見えてこない。

僕は、親指シフトを普及させるには、
打鍵動画をバリバリ上げればいいと思う。
フリックよりローマ字より合理的と示せばいい。
しかし親指シフトは、僕はそこまで合理的でないと考えている。

親指シフト方式で、ニコラ配列を否定して独自の合理性を提唱している、
飛鳥配列のほうが、合理的であると考えているからだ。
ここでは飛鳥の合理性に触れないが、
少なくともカタナ式の合理性については、
長時間入力を撮影した打鍵動画があるので、
そこから合理性を実感してほしい。
(実際のところ、打鍵の合理性は、
動画を見ただけでは実感しにくい。
解説が必要だと考えている。
次は、そのような合理性の解説つき動画を作ろうとしている)

単純に、スルスル打てる、というだけでは不足だ。
何故ならスピードに関して言えば、
現状のローマ字でも実用上十分だと、
殆んどの人は思っているからだ。
「ブラインドタッチに憧れる」と良く聞く。
それは、現状ブラインドタッチでなくても、
不便や不合理を感じてないことの裏返し。

人は現状維持をしたがる。
よほどのリターンが見込めない限り、
習慣を崩すことはない。


4. そもそも配列が色々あることを知らない

この無知も大きい。
精々、QWERTYローマ字、カナ入力、親指シフトの、
三つを知ってれば詳しい、という程度。

ちゃんと調べれば、
飛鳥配列、新下駄配列、月配列、新JIS、蜂蜜小梅配列、
SKY、AZIK、DvorakJP、M式、和ならべ、つばめ配列、
漢直入力(TUT-code、奏コード)、
IME(かな漢字変換システムと考えると分かりやすい)だって、
ことえりとMS-IMEだけじゃなくて、
ATOK、Google日本語入力、Japanist、SKK
などがあることくらいわかるはずだ。

そのどれがどのような合理があるか、
ということを体系的に論じたものはない。
何故なら、全ての配列を等価にマスターした人がいないからだ。

配列の選択肢は増えても、
実感としての比較が難しいのが、新しい配列を比較検討することの、
困難のひとつだ。
逆説的に、選択肢が少ないほうが考えなくていい、
と、QWERTYローマ字に戻らせる原動力になっている。


5. どの配列が(自分にとって)合理的なのか、その基準を持たない


で、何が合理的なのか?
が分からなくなり、
○○配列をマスターしよう、と思いきることが出来ないでいる。
現状を黙認したまま。

そういうときは、
何が不合理なのか、何が自分の考える合理なのかを、
リストアップしておき、
各配列をその目でチェックするしかない。
多くの中からひとつを選ぶときの、
決断と同じだ。

カタナ式の場合、
不合理と考えることは、
・小指の酷使
・大事な音が人差し指にないこと
・言葉の連接がスムーズに打てないこと
・良く打つ流れが打ちにくい流れなこと
・カーソル、エンター、BSが遠いこと
だった。
合理は勿論その真逆だ。

プラス、
・小指薬指の不使用により、強く速い指のみになり、
ブラインドタッチの習得が楽で、
習得後の高速運用が出来る(厳密には右薬指を補助的に使用)
・ショートカットが使いやすく並んでいる
・物語に頻出の記号が打ちやすい
・縦書きで使いやすい
があげられよう。

単純に自分の不満をあげ、
譲れない順に並べれば、
ベストではないが、ベターなものを見つけることは出来るかもしれない。

また、各配列の作者の解説を見て、
知らなかった合理を知ることもよい。

「一音一打」という合理を追求している配列もあり、
僕はそこに利点を見いださなかったが、
そういうことが大事な人もいると思う。
新下駄配列は一モーラ一打鍵に成功した、類い稀なる配列だ。
ニコラ配列は、拗音を除き、濁音清音を一打鍵に成功した配列だ。

あるいはアルペジオ打鍵という楽で速い打ち方に拘る配列もある。
カタナ式は随分こだわったけど、
奏コードはさらに上で、
無連想配列ゆえの、
かなり多くの文字連接をアルペジオ打鍵で繋ぐことに成功している。


自分は何を求めているのか。
なかなかそれが分からない。
まるで自分探しのようだ。
これが、新しく配列をマスターすることの大きな妨げだ。

目覚めぬ人たちは幸いだ。
現状に満足できる。
しかし目覚めた人はもっと幸いだ。
合理とは何かを、知ることが出来る。
posted by おおおかとしひこ at 18:30| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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