最近そういう系の本がたくさん出ているね。
でもあんなのなんの役にも立たない。
ほんとうに大切なことはひとつだけだ。
「バカにも理解できるように、言うことを限定する」
ことだけが大事だ。
伝えたいことがたくさんある。
それを技術で整理したり、
なんらかの魔法で全部を上手に伝えられる、
と考えているのだとしたら、
伝えるということについて、
あなたは素人だ。
複雑なことは伝えられない。
頭のいい人には伝えることも出来るかもしれないが、
それは多数の人に伝えるという役割を果たさない。
バカに合わせて話を簡単にするのか?
違うんだな。
話を簡単にしてはダメだ。
簡単にすることで本質を逸らしてはいけない。
バカでも興味深く理解できるように、
話を作り替える、
というのが本当のところだ。
例えばなしがそうだろう。
別の理解しやすい何かに変換する。
的確であればあるほど、
変換された何かを使って、
伝えるべき内容を類推することが出来る。
バカをバカにしてはいけない。
仮に偏差値50未満をバカと定義すると、
世の中の半分はバカである。
しかし彼らに生きる人権がなかったり、
掃いて捨てるべきだったり、
蔑みの対象になるわけではない。
彼らは人間であり、
敵味方を区別したり感情を持つ。
類推も出来るし落ち着いて話せば、
物事の道理を理解する。
その速度や深さが、少しばかり小さいだけで、
能力がないわけではない。
だって人間だからね。
バカを差別する人は、バカを敵に回す。
そうじゃない。
半分の人を味方につけるのだ。
彼らはバカにされるのが嫌いだ。
人間扱いすれば、人間としてちゃんと応える。
何故ならそれが人だからである。
功利主義で半分を味方にせよ、
という計算をしているわけではない。
もし本当に価値があるのなら、
全ての人に享受出来るようにするべきだと、
僕が考えているだけである。
一部の人にしか重要じゃないものは、
マイナーである。
メジャーとは、過半数またはそれ以上に訴える何かだ。
それには、
あなただけが理解している難しいことを、
そのまま伝えてはダメなのだ。
触りだけ伝えてもダメだ。
全部を伝えなければならない。
要するになんなのか。
なぜそうなるのか。
バカでも理解し、バカでも他人に説明できるように、
上手に全体を整えなければならない。
ということは、
ほとんどは捨てないと出来ない。
あなたには伝えたいことが山ほどあるかも知れない。
その殆どは、あなたしか分からないことかも知れない。
それを一回捨ててみよう。
バカでも分かるこの話の本質はなにか。
そこまで削ぎ落としたものだけが、
真のシンプルを獲得する。
ただカットしていくと、
痩せた、不足した、物足りないものになる。
そうではなく、
バカにでも分かるように、
全部をシンプルに作り直すのだ。
それこそが、頭のいい人のやり方だ。
相対性理論は素晴らしいが、
ローレンツ収縮やテンソル方程式は、
所詮は一部の人のものだ。
ウラシマ効果にまで凝縮した人は、
とても賢いと僕は思う。
2017年11月05日
この記事へのコメント
コメントを書く