2017年11月05日

伝える技術

最近そういう系の本がたくさん出ているね。
でもあんなのなんの役にも立たない。

ほんとうに大切なことはひとつだけだ。

「バカにも理解できるように、言うことを限定する」
ことだけが大事だ。


伝えたいことがたくさんある。
それを技術で整理したり、
なんらかの魔法で全部を上手に伝えられる、
と考えているのだとしたら、
伝えるということについて、
あなたは素人だ。

複雑なことは伝えられない。
頭のいい人には伝えることも出来るかもしれないが、
それは多数の人に伝えるという役割を果たさない。

バカに合わせて話を簡単にするのか?
違うんだな。
話を簡単にしてはダメだ。
簡単にすることで本質を逸らしてはいけない。

バカでも興味深く理解できるように、
話を作り替える、
というのが本当のところだ。

例えばなしがそうだろう。
別の理解しやすい何かに変換する。
的確であればあるほど、
変換された何かを使って、
伝えるべき内容を類推することが出来る。


バカをバカにしてはいけない。
仮に偏差値50未満をバカと定義すると、
世の中の半分はバカである。
しかし彼らに生きる人権がなかったり、
掃いて捨てるべきだったり、
蔑みの対象になるわけではない。
彼らは人間であり、
敵味方を区別したり感情を持つ。
類推も出来るし落ち着いて話せば、
物事の道理を理解する。
その速度や深さが、少しばかり小さいだけで、
能力がないわけではない。
だって人間だからね。

バカを差別する人は、バカを敵に回す。
そうじゃない。
半分の人を味方につけるのだ。
彼らはバカにされるのが嫌いだ。
人間扱いすれば、人間としてちゃんと応える。
何故ならそれが人だからである。

功利主義で半分を味方にせよ、
という計算をしているわけではない。
もし本当に価値があるのなら、
全ての人に享受出来るようにするべきだと、
僕が考えているだけである。

一部の人にしか重要じゃないものは、
マイナーである。
メジャーとは、過半数またはそれ以上に訴える何かだ。

それには、
あなただけが理解している難しいことを、
そのまま伝えてはダメなのだ。

触りだけ伝えてもダメだ。
全部を伝えなければならない。
要するになんなのか。
なぜそうなるのか。
バカでも理解し、バカでも他人に説明できるように、
上手に全体を整えなければならない。

ということは、
ほとんどは捨てないと出来ない。


あなたには伝えたいことが山ほどあるかも知れない。
その殆どは、あなたしか分からないことかも知れない。
それを一回捨ててみよう。
バカでも分かるこの話の本質はなにか。
そこまで削ぎ落としたものだけが、
真のシンプルを獲得する。

ただカットしていくと、
痩せた、不足した、物足りないものになる。

そうではなく、
バカにでも分かるように、
全部をシンプルに作り直すのだ。



それこそが、頭のいい人のやり方だ。

相対性理論は素晴らしいが、
ローレンツ収縮やテンソル方程式は、
所詮は一部の人のものだ。
ウラシマ効果にまで凝縮した人は、
とても賢いと僕は思う。
posted by おおおかとしひこ at 15:59| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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