2017年11月07日

削除と係り結び

ある部分Aを削除する。
これはそう簡単なことではない。
四角で囲って×をつけたり、
シフトで選択してBSするという、
手続き上の簡単さに比べて、
実にややこしい問題があることに、
簡単に削除できればできるほど気づかなくなる。

Aに関する係り結びの喪失について。


Aを前提として、以降の行動や発言や情報が左右することがある。

たとえばA=「二人が付き合ってることを知った」
だとすると、
その後彼らに会うとき、
考え方や反応や前提がまるで変わってくる。

知らなければ普通に接するのに、
知っていれば、
三人でいると緊張するよね。
二人はこっちが知ってることを知らないとすれば、
それはなかなかの緊張感だ。

これが、Aが削除されたときに、
全て変更を受ける。

こんな簡単な例なら分かりやすいけど、
実際の原稿では極めて気づきにくい。

「あのときああ言われたことに対して、
意趣返しのつもりで言う台詞」があったとしたら、
ああ言われたAが削除されていたら、
宙に浮いた、意味のない台詞になってしまう。
じゃあその台詞も削除するのか、
その台詞を変えるのか、
流れが変わってしまうことは確実だ。

つまり係りAに対して結びBが影響を受ける。
Aの後のこと全てに結びBがありえる。

逆に、Aが結びになっている係りCも同様である。
Aより前のことがその候補だ。

「あのときああ言われたことに対して、
意趣返しのつもりで言う台詞」
のうち、あとのほうを削除してしまったら、
前の台詞を言うことに意味がなくなる可能性が高い。
しかしその意味の台詞を言わなければその場面は進行しづらいとすれば、
アレンジして残す必要がある。
しかしその台詞の重要度は下がるから、
全体のバランスがよれていく結果になるだろう。


Aを削除することは、かような影響を及ぼす。

そもそも物語というのは流れである。
静止したパーツを並べるならば、取っ替え引っ替えして試行錯誤することができる。
たとえば服を決めるときはそれに近い。
ところが、各パーツに流れという連関がある物語というのは、
パーツのオンオフをすると、
連関が壊れるという脆い性質がある。

脆いというのは手術する側から見て、だ。
観客から見れば、その連関の流れこそが、
最も関心のある焦点になる。

つまり、削除という行為は、
その流れの再編集行為である。
上着を赤から黒に替える、というようなこととは異なるのだ。


物語は手術に対して脆弱かつ繊細である。
一回作った流れを直すのは、
一から流れを作るより困難なことがある。


丸で囲んで×をつける、
シフトで選択してBSする、
そんな簡単な行為では図れない、
削除は困難な行為だ。

削除をするときに、
そのようなことがあり得ることを知り、
その削除の影響を全て把握し、
全て整える算段がついてから、
初めて×をつけたりBSキーを押すべきである。

それによって面白くなくなったり、
係り結びの残骸だらけになったり、
前の方が「まだ」良かったとなるなら、
その削除は失敗だ。
削除はより良くなるためにやる。
つまり、より良い流れを作るためにやる。
posted by おおおかとしひこ at 13:31| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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