前のカタナ式の記事は、
脚本論にも通じるので、こっちにも書いておく。
僕は脚本理論的なものは、
運動技能に近いと以前から言っている。
思考の仕方の習得であって、
運動技能ではないのではないか、
と直感的には思うけど、
結局出力は手からになるから、
運動だと思う。
運動というのに語弊があるなら、
オペレーションと考えるといい。
たとえば因数分解や初歩の方程式の解放は、
僕は運動技能の習得だと考えている。
体は動かさないが、
オペレーションと結果を結びつけることが必要だからだ。
料理もオペレーションだ。
数学は頭の中の抽象概念を料理しているに過ぎない。
これらは全部同じ学習法が有効だ。
最初は一人の教師についてガッツリやる。
大体マスターしてきたかなと思ったら、
別の教師の話も聞いて、試してみるといい。
最初の教師のやり方では考えられなかった、
新しい知見を得ることができる。
あるいは全く同じことを、
全然違う言葉や処理で実現している場合もある。
前記事では学校と塾の例を出した。
僕が理系を好きになったのは、
全く同じことを扱っているのに、
アプローチが全く違うときがあることだったかもだ。
複数のやり方を、いきなり学ぶと、
体系だたないから混乱する。
ある程度体系が自分の中に作られてから、
その体系自体を修正しながら学んでいくといい。
空手ベースで柔道や総合をやっても、
柔道ベースで空手や総合をやっても、
同じところにたどり着くみたいなことだ。
勿論得意なベースは、最初に学んだことが生きてくる。
だから最初に学ぶ教師はとても大事なんだよね。
ここの脚本論がそのようになれてるととてもいいけど、
どやろね。
複数の教師から学ぶことは、
そのような効用と危険性がある。
いずれにせよ、
最も厳しくて確実な教師は、
自分の失敗経験であることは、
どのオペレーション学習でも同じだと僕は考える。
2017年11月08日
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