2017年11月09日

実写と漫画の違い

実写は、あらゆるものが「ある」。
漫画は、どんなにあるふりをしても、「ない」。


絵じゃん、というツッコミがある。
どんなに感情を掻き立てられるとしても、
絵(多くはアニメか漫画のこと)でしかないということ。
漫画はどこまでいっても絵。
つまり、実在はしない。

一方、実写はそれに対して、
実在のレベルで実在する。
ロケ地は実際にある。
セットも実際にある。
役者は実在の人。
衣装も実物が存在する。
雨は降るし夕日は本物。
アクションも実際に人間がやる。
実際に声を出して録音するし、
音楽は楽器を弾く。

何を今更?
いやいや、それが実在するのとしないのでは、
大きな違いなんだ。

CGを考えよう。
これは実在するか?
しないと僕は考える。
データでしかない。
データは実在か、という哲学的な問いはおいといて、
複製可能な時点でそれは唯一無二の実在ではない。

同様に、打ち込み音楽も微妙に実在ではない。
シンセサイザーから流れれば実在かも知れないが、
何度でも全く同じことを出来るのなら、
それは実在ではないと僕は思う。

つまり、実在とは、
現実に存在する、
唯一無二のもののことかな。


漫画は絵だ。
実在ではない。
実在ではない段階で、
誇張する。
省略や強調を行う。
つまり、記号化する。

漫画は実在ではない。記号である。
記号に対して、タッチを被せた物である。

原作の霧風は、つまり記号なのだ。
車田正美の美しいタッチで描いてあるものの、
実在しない記号存在だ。

ドラマ版の霧風は実在する。
触れるし匂いも嗅げる。
なんなら握手したり抱き合うことも出来る。

実在が実在しないものを演じるのが、
演技、舞台、映画というものである。


実在しないはずの記号存在が、
実在しているものになる瞬間、
つまり受肉する瞬間こそが、
実写の演技というものだ。


何が言いたいかというと、
私たちは、実在しないものを、実在するものを集めて表現する、
という具体で勝負するということなのだ。

具体的な役者が、
具体的な台詞を言い、
具体的な動作や仕草をする。
具体的な場所で、具体的な音楽がかかって。

僕らがどんなに頑張ったって、
原作の霧風には勝てない。
具体的なもので、実在しないものを作れないからだ。
神は具体的な偶像で表現できない、
抽象概念である。

逆に、私たちは、
具体的な偶像で、神をどうにかして表現しようとしているのだ。


映像の台本は、
だから具体的である。
実在するものをどう組み合わせて表現するかが、
書いてある。
曖昧はない。


漫画は実在ではない。
実写は実在する。
漫画の実写化は、そもそも間違ったことをしている。

実写の漫画化はあまり聞かないけど、
たとえば風俗ルポ漫画とかを見る限り、
具体的だったものが、記号的に還元されているのが、
よくわかると思われる。
posted by おおおかとしひこ at 02:11| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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