実写は、あらゆるものが「ある」。
漫画は、どんなにあるふりをしても、「ない」。
絵じゃん、というツッコミがある。
どんなに感情を掻き立てられるとしても、
絵(多くはアニメか漫画のこと)でしかないということ。
漫画はどこまでいっても絵。
つまり、実在はしない。
一方、実写はそれに対して、
実在のレベルで実在する。
ロケ地は実際にある。
セットも実際にある。
役者は実在の人。
衣装も実物が存在する。
雨は降るし夕日は本物。
アクションも実際に人間がやる。
実際に声を出して録音するし、
音楽は楽器を弾く。
何を今更?
いやいや、それが実在するのとしないのでは、
大きな違いなんだ。
CGを考えよう。
これは実在するか?
しないと僕は考える。
データでしかない。
データは実在か、という哲学的な問いはおいといて、
複製可能な時点でそれは唯一無二の実在ではない。
同様に、打ち込み音楽も微妙に実在ではない。
シンセサイザーから流れれば実在かも知れないが、
何度でも全く同じことを出来るのなら、
それは実在ではないと僕は思う。
つまり、実在とは、
現実に存在する、
唯一無二のもののことかな。
漫画は絵だ。
実在ではない。
実在ではない段階で、
誇張する。
省略や強調を行う。
つまり、記号化する。
漫画は実在ではない。記号である。
記号に対して、タッチを被せた物である。
原作の霧風は、つまり記号なのだ。
車田正美の美しいタッチで描いてあるものの、
実在しない記号存在だ。
ドラマ版の霧風は実在する。
触れるし匂いも嗅げる。
なんなら握手したり抱き合うことも出来る。
実在が実在しないものを演じるのが、
演技、舞台、映画というものである。
実在しないはずの記号存在が、
実在しているものになる瞬間、
つまり受肉する瞬間こそが、
実写の演技というものだ。
何が言いたいかというと、
私たちは、実在しないものを、実在するものを集めて表現する、
という具体で勝負するということなのだ。
具体的な役者が、
具体的な台詞を言い、
具体的な動作や仕草をする。
具体的な場所で、具体的な音楽がかかって。
僕らがどんなに頑張ったって、
原作の霧風には勝てない。
具体的なもので、実在しないものを作れないからだ。
神は具体的な偶像で表現できない、
抽象概念である。
逆に、私たちは、
具体的な偶像で、神をどうにかして表現しようとしているのだ。
映像の台本は、
だから具体的である。
実在するものをどう組み合わせて表現するかが、
書いてある。
曖昧はない。
漫画は実在ではない。
実写は実在する。
漫画の実写化は、そもそも間違ったことをしている。
実写の漫画化はあまり聞かないけど、
たとえば風俗ルポ漫画とかを見る限り、
具体的だったものが、記号的に還元されているのが、
よくわかると思われる。
2017年11月09日
この記事へのコメント
コメントを書く