これをひとつも残さないのが理想だ。
つまり、ラストに近づくほど、
「あれのあれはこうだったのか」と、
「納得がどんどんいく」というようにしなければならない。
「あれのあれは、
結局こういうことだったのだ」
という種明かしがあるたびに、
「なあんだ」
「心配して損した」
「なるほど!よく考えられてあるわ!」
などの反応が起こるべきである。
最上は最後のものだ。
初心者が書く話は、
これが大抵うまくいかない。
「あれのあれはいったいどうなったのか、
最後まで明らかにされない」ことが多い。
それは何故かというと、
「あれのあれが結構気になる」
という観客の反応まで、
想像が及ばないからだ。
「相手の気持ちを考えてものを言いましょう」
なんて叱り方があるけれど、
そうじゃないときはどうかというと、
「自分の都合を押し付けている」ということ。
観客が何をどう気にするか、
まで考えが及ばず、
自分の都合で精一杯なのである。
だから、まさか、あれのあれが結局どうだったの?
と聞かれるなんて、思ってもいないことが多い。
初心者が書く話は、破綻の綻びが結構ある。
実際には不注意による破綻であったとしても、
観客にとってはそれも伏線ではないかと思えるので、
伏線だと思っていたあれは、結局どうだったの?
と疑問が残るだけになる、というメカニズムだ。
自分の「つもり」だけを表現していないか。
それをチェックすることはとても難しい。
夢中にはまりこんでいるときほど、
それは見えなくなる。
それを引いた目線から見る落ち着きが、
経験するほどついてくる。
掌で転がせるようになるわけだ。
掌でいきなり転がせとは言わない。
少なくとも、あれのあれは結局なんだったのか、
を冷静に見れるようになりたい。
結局何にもなってないのなら、
それは意味のないパートである。
それはストーリーではない。
(それは続編で明らかになる、なんて糞みたいな言い訳をするのも初心者だ)
2017年11月10日
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