2017年11月10日

あれのあれは、結局何だったのか

これをひとつも残さないのが理想だ。
つまり、ラストに近づくほど、
「あれのあれはこうだったのか」と、
「納得がどんどんいく」というようにしなければならない。


「あれのあれは、
結局こういうことだったのだ」
という種明かしがあるたびに、
「なあんだ」
「心配して損した」
「なるほど!よく考えられてあるわ!」
などの反応が起こるべきである。

最上は最後のものだ。


初心者が書く話は、
これが大抵うまくいかない。
「あれのあれはいったいどうなったのか、
最後まで明らかにされない」ことが多い。

それは何故かというと、
「あれのあれが結構気になる」
という観客の反応まで、
想像が及ばないからだ。

「相手の気持ちを考えてものを言いましょう」
なんて叱り方があるけれど、
そうじゃないときはどうかというと、
「自分の都合を押し付けている」ということ。

観客が何をどう気にするか、
まで考えが及ばず、
自分の都合で精一杯なのである。

だから、まさか、あれのあれが結局どうだったの?
と聞かれるなんて、思ってもいないことが多い。



初心者が書く話は、破綻の綻びが結構ある。
実際には不注意による破綻であったとしても、
観客にとってはそれも伏線ではないかと思えるので、
伏線だと思っていたあれは、結局どうだったの?
と疑問が残るだけになる、というメカニズムだ。

自分の「つもり」だけを表現していないか。
それをチェックすることはとても難しい。
夢中にはまりこんでいるときほど、
それは見えなくなる。

それを引いた目線から見る落ち着きが、
経験するほどついてくる。
掌で転がせるようになるわけだ。


掌でいきなり転がせとは言わない。
少なくとも、あれのあれは結局なんだったのか、
を冷静に見れるようになりたい。

結局何にもなってないのなら、
それは意味のないパートである。
それはストーリーではない。

(それは続編で明らかになる、なんて糞みたいな言い訳をするのも初心者だ)
posted by おおおかとしひこ at 23:21| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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