2017年11月11日

「実写化」なんて不幸量産機だろ

何故漫画を実写化するのか?

「そうでもしないと、制作費が集まらない」からだ。


ほんとはみんなオリジナルを作りたい。
志は高い。
しかし才能のほどは分からない。
まず才能を示せない。
だからまず漫画の実写化なら予算が集まりやすい。

キャストは役に餓えている。
あの漫画の実写なら、とファンだったりしたら話は早い。
あの人が出ます、あの人気漫画の実写化です、
というと金が集まる。
その金で、自分の才能を示すチャンスをつくる。

だから原作をどう映画にするかなんてどうでもいい。
原作知らないんです、
という監督がやったりする。
原作を理解していないプロデューサーが陣頭指揮をとる。
「それはこの作品の実写化にふさわしいか/ふさわしくないか」
ということが判断基準ではなく、
「それは資金が集まり、我々の才能を示せる場になるか/ならないか」
が判断基準だ。

全員が不幸になる。

原作を愛する人は、めためたに壊される。
才能を示せるチャンスと思いきや、制約だらけ。
儲かると思って脚本をちゃんと読んでいない投資家は、
出来の悪さに大損だ。
何も知らない観客は、二度と日本映画なんて見ないよと心に誓う。

全員が不幸になる。

金を回そうとする、能無しの守銭奴によって。


この病は治癒しそうにない。

理想は、有象無象の才能の中から、
面白い/面白くない/惜しいをより分けて、
それなりに資金をベットし、
興行にかけ、
正しい評価が回り、
才能の爆発と終焉を見守り、
新しい才能の出現に拍手し、
歴史が更新されていくことだ。

スポーツは、ある意味公平だ。
(今や家が金持ちかどうかはある程度関係するかもだが)
プロスポーツはどこまで公平かわからない。

日本映画は、そんな健全な市場か?

よく分からない変な文学みたいなのを日本映画と称してる輩も、
縮こまってしこしこやってるだけに見える。

ふつうに面白いオリジナルを映画界がばんばん作って、
勢いよく日本の文化をリードしてほしい。
みんなそう期待している。


テレビが生まれたとき、
オリジナルを作りたいやつは、
テレビで作っていた。
だから黎明期のドラマは力があった。
オリジナル映画を作りたいやつらが、
腐った日本映画を見返してやると、
気骨を見せようとしていた。

トレンディドラマとか言い出してから、
それは曲がっていった。
視聴率至上主義とは、すなわち拝金主義であり、
資金回転至上主義であった。
視聴率を1%あげることより、
評価を得ることの方が重要だったはずだ。


僕らのジンクスに、
「賞を狙うと外す。ほんとに賞を取るのは、
賞を意識していない、純粋な才能の爆発」
というのがある。
視聴率至上主義、資金回転至上主義は、
外しまくっている。


何のための実写化か。

それは、死に体の老人にチューブをつけて、
栄養を回して生き延びさせることと同じかも知れない。

実写化される原作の才能たちが、もう可愛そうになってきた。
「頼むから俺の歴史に汚点をつけないでくれ」
そう願う漫画家たちはとても多いと思う。


日本映画は、もうダメかも知れない。
新しい才能は潰されるだけだ。
新天地はどこだ。かつてのテレビのようなもの。
ネットは資金回収に失敗してる。
アマゾン以外はね。

そのチューブ、もう外したらどうだ?
posted by おおおかとしひこ at 08:53| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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