前記事の続き。
文単位で考えてみよう。
ある文を言う。
次にある文を言う。
これらが自然な展開になっているときは、
自然に文はつながる。
これが繋がっていないとき、
私たちは間に接続の言葉を挿入して、
文を繋ぐ。
だが、しかし、ところが、
逆にいうと、
話全く変わりますが、
で、
などなど。
「一語+、」の形の狭義の接続詞を拡張して、
以下ではこういうものも全部接続詞ということにする。
接続の仕方は、大きくいうと3つだ。
順接、逆接、転換だ。
順接のときのみ、話は自然に接続する。
代表的な順接の接続詞は「そして」だが、
とくにこれを全部取ったとしても、
文意には影響はない。
逆に、「そして」を全部の文頭に付けることも可能である。
もし「そして」を取ることで文意が変わるのなら、
それは順接でなかったのに、順接の誤用をしているときだろう。
自然な展開とはつまり順接だ。
因果関係がストレートに繋がり、
順にそれらを記述することができる。
より細かくブロック分けして、
詳細に追うことも可能だし、
逆に頭とケツだけ描写して、
真ん中を省略することも出来る。
論理の糸が一本道である限り、
ルートはひとつに決まるからである。
つまり、
順接で話を繋いでいるときは、
いくらでも細かくして遅らせることもできるし、
ガツッと省略して端正にすることもできる。
逆接は、
逆のことをつなぐ。
A。しかしB。
というように。
これは強力なターニングポイント、リバーサルである。
これは言うことが混乱しているのか?
そうではない。
逆接があるとき、実際には結論Cが求められる。
A。しかしB。
つまり結論はC。
のようにだ。
逆接単体では存在しない。
するとしたら、AもBも意味のないものになってしまう。
カワイイ子だと思った。
しかし、よく見たらブスだった。
よく見極めなければならない。
さらに逆接で文を繋いでみよう。
しかし、外見がカワイイ子は性格が悪い。
ブスのほうが心が深かったりする。
醜女の深情けとはよくいったものだ。
などのようにだ。
ストーリーを繋ぐとき、
自然な展開とは逆の展開になることがある。
つまりこれは、その先に結論Cがあると期待しながら、
みんな見ているというわけだ。
なにい!?主人公が負けた!?
という逆接の展開のあとには、
結論C「ほんとうは勝っていたのだ!」なんてものがあったりする。
今日は彼女とデート。
しかし彼女は機嫌が悪く大喧嘩。
実は自分が愛されいるかどうか不安だったからだ。
かわいいなあ。
などである。
転換について。
これもターニングポイントになる。
話変わって、ところで、などだ。
これも逆接と同様、結論Cが来ることが想像される。
A。話変わってB。
結論は、AとBは同一のことだったのだ。
などのような形式だ。
逆接だろうが転換だろうが、
Bは常にAへのカウンターになる。
CはABを統合する。
この統合の効果が面白いから、
逆接や転換が存在するというわけだ。
そもそも順接だけで話が纏まるなら、それがベストである。
しかし意外性や刺激が足りないとき、
逆接や転換で話の目先を変えていく。
しかしただ話題が変わっただけでは、
AとBの存在する意味が不明だ。
AまたはBだけを話せばいいからだ。
これらが両者存在する意味があったのだ、
と分かる統合Cがあることによって、
AもBも、等しく存在の意味が出てくる。
勿論、逆接や転換はいくつも繋いで構わない。
三つ以上の要素について、
逆接や転換で繋いでもよい。
問題は、それらが結論に統合される瞬間で、
なるほど、全てのパーツは存在意味があった!
と腑に落ちればなんの問題もない。
ところが、多くの話下手は、
そこに統合しきれずに終わることが多い。
「今話しているところが退屈されたら困る」という不安から、
逆接や転換で目先を変えて、
あとで統合しようと思っていて、
結局ケツを拭いきれなくなる、
という現象が起こる。
これはなんの意味もないことだ。
いらないパーツを除き、
順接で一本道の話に統合してしまえばいい。
それで詰まらないなら、そもそも詰まらない話だったのだ。
「ファイアパンチ」が終幕に向かっている。
あと一巻で完結らしい。
逆接や転換で派手にやってきたものの、
多くの部分的結論はどこかに行ったままだ。
統合結論へは行かないだろうというのが大方の見方だろう。
つまり、投げっぱなしで、多くの伏線が解決せず、
中途半端に終わるだろう。
もしラストでどんでん返しして、
今までの疑問が全て氷解するとしたら、
恐ろしいほどのストーリーテラーだと思うが、
どう考えても綻びだらけだ。
順接は自然。
逆接や転換は、あとにまとめがある前提でのひっくり返し。
ただの逆接や転換は、派手にしたいだけの狼少年。
2017年11月12日
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