2017年11月13日

見世物はガワのこと

○○が見たい。
その欲望は、ガワへの欲望だ。


泣けるシーンが見たい。
笑えるシーンが見たい。
イチャコラが見たい。
熱いシーンが見たい。
ワクワクドキドキが見たい。

これらは感情のことを言っている。
これは、ガワで表現が可能だ。
(奇しくもマイケルベイは、
これは音楽によってコントロール出来ると言っている。
マイケルベイは、このようなシーン単位での感情を表現することに特化した監督で、
ストーリーテラーではない)

具体的にしてみよう。

ゴジラが東京を破壊するシーンが見たい。
ビームでビルをぶったぎるところが見たい。
ビルから飛び降りるがそこに飛行船が来て助かるところが見たい。
会えなかった恋人が再会できるシーンが見たい。
拗ねているけど誤解だったと恥ずかしがるシーンが見たい。
パンチラが見たい。セックスが見たい。
ホテルの窓に手をついてバックでしているところが見たい。

このように、シチュエーションや行為や感情が伴うと、
場面というものになる。

場面はガワである。
何故ならそこに時間軸がなく、点だからだ。

点の感情は、逆に、ガワを集めて並べると作れる。
ホテル、窓、バックのように、
アイテムを揃えるとよい。
アイテムはガワである。


ガワによる感情は、点であり、見世物である。
見世物とは、見て何らかの感情を催し、
見終えたあとは、飽きて次に行くものだ。
リピーターもいる。
あるいは、どんなやつでも毎回反応してしまうガワの組み合わせもある。

崖から登場するヒーローは、何回リピートしてもいいものだ。
あるいはヒーローたちが横にならんで、スローでこっちに歩いてくる絵もいいものだ。

歌舞伎は、このような様式美、
つまりはガワのパターンを作ってきた。
「よっ!○○屋!」と掛け声がかかるのは、
この「型」にはまったときだ。


つまり、ガワには型がある。
それにはめちまえば、誰だって興奮するのだ。
使い古されたパターンもあるし、
新鮮なパターンもあるし、
新鮮なパターンの組み合わせもあるというだけだ。


よく絵師さんに、
「○○が○○しているところを下さい」なんて言うけど、
これはガワのパターンを要求しているのだね。

不思議なことに、これはパターンなのに飽きない。
悪人が女を人質にしているところに、
ヒーローが登場するのは、いつ見ても最高だ。


さてさて。
ガワは見世物である。

ストーリーは見世物ではない。
見世物のシーンがうまく次々に出てくるように、
並べたものがストーリーか?
そうではない。

ストーリーは因果関係のことだ。
その各場面が見世物になっているのが最高で、
見世物たちを都合よく継ぎ接ぎしたものはストーリーではない。
また、見世物がないストーリーは、
見るべきところがない。
見せ場がない。

見せ場とは、すなわち、ストーリーの重要な場面が、
ガワによる、パターンによる、見世物になっている、
ということを言う。

さて。

パターンは使い古されたのか。
よくあるやつは古びる。
新しいパターンに挑もう。

新しい見せ場を考えよう。
その新しい見せ場がクライマックスになるような、
新しいストーリーを考えるのだ。

もちろん、見せ場ありきでストーリーを継ぎ接ぎすると失敗する。

見世物だけなら、どんなにか簡単か。
私たちは、ストーリーかつ見世物を作っている。
posted by おおおかとしひこ at 12:12| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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