映画はどうやって作られるのだろう。
先人たちはどういう失敗をし、
どう改良してここまで来たのだろう。
100年を越える歴史を振り替えることで、
「初歩的ミスは淘汰された」
ということを知ることが出来るのではないか?
そう思って、独断と偏見で映画の歴史を纏めてみることにする。
第一回は、見世物とその脱却だ。
最初の映画は何だったか。
ルミエール兄弟の、
「列車の到着」である。
モノクロフィルム上映、サイレント、1分。
駅にカメラがフィックスで、列車がカメラに向かってやってきて停車する。
たったそれだけ。
これを巨大スクリーン(実物大?)で映写する。
これまで映画なるものを見たことがない人は、
(演劇または写真は見たことはあるだろう)
本物の列車が来ると勘違いし、席を立って逃げたと言う。
それほど、「連続写真を巨大スクリーンに上映」
というのは、リアルな体験であった。
音もないし色もないし、3Dでもないのにだ。
つまり、最初の映画は、
ストーリーではなく見世物であった。
「まるで本物の列車が目の前にやって来るような体験」
であったのだ。
それから、色々な体験的見世物が作られたことだろう。
列車にカメラを乗せた主観映像や、
気球にカメラを乗せた空撮や、
珍しい風景を納めたものや、
ポルノもあっただろうね。
さて。
映画はその見世物映像で終わっていたかも知れない。
見世物映像のジャンルは、
今で言うと、YouTube、
万博などの映像(大型映像などと言われる。
昔70ミリ、今なら4K8Kや360度映像などか)、
3DやVRAR、ちょっと前ならプロジェクションマッピングか。
見世物映像は、一回見たら終わりだ。
AVを二回見る人はいない。
遊園地のアトラクションは、一度乗ったらおしまい。
遊園地は、アトラクションを作り続けない限り潰れる。
ところが、ある人が、
「演劇をそのまま映す」ということを始めたんだな。
当時のストーリーものは、小説か演劇しかなかった。
じゃあ演劇を収録したら、
何回でも同じ興行ができるやんけ、
と考えたのかも知れないし、
物珍しかったのかも知れない。
見世物映像が、ストーリーものになった瞬間だ。
しかしサイレントでは台詞がない。
パントマイムしか上映できなかった。
そこで演劇同様、生バンドが音楽を奏でた。
映画の歴史にとって、
劇伴(劇につける伴奏。作曲理論的組み立てよりも、
劇の感情曲線に合うことを優先させる)は、
なんと台詞より古いんだね。
弁士がいて説明したりアテレコしてくれるものもあった。
(僕は20年前一度だけ生弁士の映画を観たことがある)
そのうち、台詞は文字で出るようになる。
文字を書いた紙を撮影し、編集すればいいからだ。
しかし長い台詞は無理だから、
短く気の効いた台詞は台詞(文字)で、
あとは音楽とパントマイムで、
という、現在の映画的芝居の基礎が出来上がった。
そもそも映画に台詞はなかった。
音楽による感情ラインと、身体的行動で、
何が起こっているかを「見せ」て、
グッと来る言葉だけ限定して、台詞に仕立てあげるのだ。
生バンドでなく、
映画にサウンドトラック(フィルムの横にレコード同様溝を印刷、
それを読み取り音楽を再生)が追加されても、
映画の基本はこうだった。
つまり、
演劇的ストーリーがあること。
音楽と身体的行動で、今何が起こっているかを示すこと。
全身で喜び、全身で悲しみ、全身で怒り、
そして、ごく短い台詞で勝負をかけること。
ここに至るまでの、先人の失敗は以下のようなものだ。
ストーリーのない見世物映像は、すぐ飽きる。繰り返し楽しむレベルではない。
音楽がないと感情豊かに表現するのは難しい。
ただ立っているだけ、ただ座っているだけは芝居ではない。
長くくどくどした台詞はダメ。
勝負どころでないところに、台詞を持ってくるのもダメ。
まだカラーにもなっていない、
50年代とか60年代には、
もうこのような映画の基礎は出来上がっていた。
先人たちの失敗をまだ学んでいない、
バカなプロデューサー、監督、脚本家は、
上のような失敗をまだ続けている。
ウリやガワの見世物映像ばかり気にして、
肝心のストーリーがない。
劇伴の軽視。
(たとえば全然あってない主題歌タイアップで、予算を稼ぐコスイ真似。
あるいは音楽予算を下げまくり、打ち込み音楽をはめるだけ。
昨今に至ってはフリー音源を使いかねない勢い。
昔は、フルオーケストラが、上映フィルムを見ながら演奏し、録音したものを)
棒立ち芝居。
あるいは、棒立ち芝居しか出来ない棒芸能人を、
人気があるからという理由で起用すること。
台詞で全部説明する愚。
肝心の勝負台詞がダサい。
台詞で言うべきところと、言わなくていいところの線引きが出来ない。
カラー映画登場前に試行錯誤されて、
失敗を乗り越えてきた先人たちの教訓を、
現代の馬鹿は無知である。
さて。
次はカラー映画?トーキー?
いや。
昔の演劇映画は、ワンカットのフィックス、
引きの全景カメラしかなかった。
ここでカットを割った人たちがいる。
映画の父、グリフィスのモンタージュ編に続く。
2017年11月14日
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