手元を見ないでそもそも手をずっと動かし続けるってのは、
結局手癖をどうやって作るか、ということなんだよな。
僕はブラインドタッチがずっと出来なかった。
QWERTYローマ字の手癖を作るのは、
そもそも普通の人には無理だと思う。
それを強要するやつらは間違っているとさえ思う。
もっと簡単な手癖だけで母国語を書くことが出来ないのか?
フリックは、それに答えた恐らく最初の方法だ。
(ガラケー打ちもあったけど、
母国語というほどの細やかさはなかっただろう)
しかしフリックには欠点がある。
精々数千字程度しか書けないことだ。(単純に疲れる)
私たちの思いや思考や仕事は、
もっと長い母国語を必要とすることが多い。
だからもっと楽に、長時間、手癖だけで書いていくことが出来るか?
ということが大事だ。
親指シフト(現ニコラ配列)は、
それに答えたもののように宣伝しているが、
そしてそれを額面通りに受けとる人はたくさんいるけれど、
僕は、普通の人の手癖の範囲で扱いきれる代物ではないと考える。
少なくともキーボードで別のブラインドタッチを覚えた人の、
「獲得された手癖」を使わないと、難しいと思う。
たとえば普通の人は右小指なんか単独で使わない。
耳くそを取るときか、
小指で何かを引っかけて持つときぐらいだろう。
その指に、一番カナでも頻度の高い「ん」を打たせ続ける。
その手癖をつけるのにどれだけ苦労するか。
僕はキーボードが嫌いだ。
タイピストやピアニストみたいな手癖がない。
もっと普通の人の手だ。
だから、その手で使える範囲内の配列を作った。
カタナ式の入門動画(ブラインドタッチマスター)を作ろうとしている。
どうやって手癖を作っていくかを中心に考えた。
実際のところ、
例文は手癖で作った。
カタナ式を打つのに気持ちのいい連接になるような言葉たちだ。
これが日本語の中核の言葉の集合と近いのがカタナ式の優位点だと考えているのだが、
そんな理論的なところはあとで理解すればいいやと、
まず打てる言葉を増やしていこうという実践的な内容だ。
ブラインドタッチが何故マスター出来ないのか?
QWERTYローマ字の手癖を作るのは、
ほとんどの人には不可能だからだ。
左小指でaを打ち続けられるのは、才能がある人だけだ。
それより革命的に簡単な手癖だけで、
母国語を打てる配列がある。
そういうことを示していきたい。
勿論唯一解だというつもりはない。
だから下駄配列を研究中だ。
下駄の手癖は、それはそれで面白い。
ピアノの和音を弾き続けるような感じ。
ピアノ弾けないけど。
この新しい手癖によって、僕の薬指が進化を遂げたような気がする。
それは前記事で議論した。
手癖は触覚の範疇だ。
触覚を表すボキャブラリーは少ない。
だから人は配列を前に沈黙せざるを得ない。
スポーツの楽しさを言葉で表現するのが難しいように。
実は映像も、触覚を表すことが出来ない。
だから映像で出来ることは、
見本を見せるまでだ。
それを真似してやってみて、
その手癖がいいかどうか判断するのは、
結局自分の手の触覚の感覚なんだよね。
新配列がどれだけ素晴らしくても、
なかなか普及しないのは、
そのような、触覚の伝達のしづらさにあると思う。
もっとも効率のよい触覚の伝達は、
マスコミュニケーションと真逆の、
マンツーマンだったりする。
英会話と同じだよな。
2017年11月18日
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