2017年11月16日

よし、反論してみようか

以下のようなものがツイッターを騒がせている。

>”男性作家が描く女性像を考察したところ、女性のイメージは3パターンしかありませんでした。性的な欲望を満たす「娼婦」、崇めたてるべき「聖女」、甘えの対象である「太母」です”
>”すなわち男性は、対等な人格をもった存在としての女性像をうまく組み立てられていないのです”

わりと昔からある議論だ。
僕は少なくとも80年代にこの話を聞いたことがある。


じゃあ、短絡的に書いてみる。

女作家の描く男性像だって、
「父のようになんでも受け止めてくれる大らかな男性」
「私をめちゃくちゃに壊してくれる、危険な男性」
「頭を撫でたくなる、母性がくすぐられる少年のような男性」
のみっつしかないではないか。

これを短絡だ、と批判するのは簡単だ。

問題は、このステレオタイプが、今尚人気だということだけだ。

娼婦と聖母と太母と、
父と不良と少年と。

それ以外を描いている作家もたくさんいるし、
それしか描けない作家もたくさんいる。
それだけのこと。

様々な人が見たり読んだりする物語は、
物語初心者もみることになる。
そうしたら、この6タイプすら満足に区別できないことだってある。
物語リテラシーがあがれば、
これらがステレオタイプでたいしたことない、
ということもわかってくる。

問題は、
リテラシーの低い側に合わせるのか、
高い側に合わせるのか、
ということ。
出版社側は、売れるほうに合わせろというだろう。
posted by おおおかとしひこ at 19:25| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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