2017年11月17日

ブラックコメディの作り方

昨日腹が立ったので、冷静に怒る。
暗いと不平を言うよりも、進んで灯りをつけましょう。
ブラックコメディの正しい作り方。


コメディとは何か。

戯画である。

つまり、誇張と省略、デフォルメのことである。


笑いとは極端なところに生まれる。

それが世の中をポジティブなものに変えるのがコメディ、
世の中のものを笑いで批判するのがブラックコメディである。

「エキストランド」のシーンを例に。
「エキストラに用意された弁当に、箸がなかった。
スタッフに声をかけたが聞いてくれず、
仕方なくみんな手で弁当食べた」
というシーンがあった。

リアルで身につまされるシーンだ。
でもこれはブラックコメディではない。
笑いで批判していない。
単なるブラックなシーンに過ぎない。

ブラックコメディは、
世の中の批判すべきところを極端に振ることで笑いに変える。

たとえば。

エキストラの弁当に箸がない。
スタッフに言うが、「トラ(エキストラの侮蔑語)なんだから文句言うなよ」と言われる。
困ったエキストラに気づいた助監督が、
「僕の箸でよければ」と手渡しする。
それは無理か、と思った助監督は、
海で洗う。「どうぞ」
「…ありがとうございます」
しかし一膳しかないので、これを使い回すしかない。
食べては洗い、食べては洗い。
(しかもエキストラ内ですら序列がある)
箸を待てない人(デブ)は海で手を洗ってご飯を食べて「おにぎりだ」という。
しかも予算削減のために、弁当は安っぽい。
「これ、田中さんのところの一番安い弁当じゃん」
「けちったな」
「弁当がしょっぱい」
「二重の意味で」
プロデューサーの弁当を見るとわりと豪華。
しかも残して犬にあげている。
「俺町まで飯食いに行ってくるわ。弁当まずいんだもん」
犬が食い残した弁当を海に捨てる。


みたいなことか。
エキストラの悲哀、ぞんざいに扱われること、
バカプロデューサー、
などなどを批判しようとしたら、
最低でもこれくらいの笑いに変えないと、
批判したことにならない。

ブラックコメディは、
批判するのではない。
笑いで批判する。

批判しているではないか、
と怒ってくる人をかわすために、
「ギャグですよ」というのだ。
だから、「ほんとにあるわけではないこと」まで、
極端に振り切らないと意味がない。

コメディは笑える。
ブラックコメディも笑える。
コメディは幸せな感情で。
ブラックコメディは知性で。

ブラックなことをやればブラックコメディになるわけではない。
脚本の坂下 雄一郎、 田中雄之は、
ブラックの才能はあるかもしれないが、
コメディの才能はない。



ちなみにここまでやっておけば、
前記事のラスト大爆発→大受け、
という皮肉なラストに対して、
手で弁当食った皆さんも感動し、内川くんも感動し、
映画制作の魔力に取り憑かれて、
めちゃくちゃなスケジュールでも受けちゃうようになればいいのさ。
ブラックコメディは皮肉である。
高度な知性が必要だ。
posted by おおおかとしひこ at 13:31| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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