昨日腹が立ったので、冷静に怒る。
暗いと不平を言うよりも、進んで灯りをつけましょう。
ブラックコメディの正しい作り方。
コメディとは何か。
戯画である。
つまり、誇張と省略、デフォルメのことである。
笑いとは極端なところに生まれる。
それが世の中をポジティブなものに変えるのがコメディ、
世の中のものを笑いで批判するのがブラックコメディである。
「エキストランド」のシーンを例に。
「エキストラに用意された弁当に、箸がなかった。
スタッフに声をかけたが聞いてくれず、
仕方なくみんな手で弁当食べた」
というシーンがあった。
リアルで身につまされるシーンだ。
でもこれはブラックコメディではない。
笑いで批判していない。
単なるブラックなシーンに過ぎない。
ブラックコメディは、
世の中の批判すべきところを極端に振ることで笑いに変える。
たとえば。
エキストラの弁当に箸がない。
スタッフに言うが、「トラ(エキストラの侮蔑語)なんだから文句言うなよ」と言われる。
困ったエキストラに気づいた助監督が、
「僕の箸でよければ」と手渡しする。
それは無理か、と思った助監督は、
海で洗う。「どうぞ」
「…ありがとうございます」
しかし一膳しかないので、これを使い回すしかない。
食べては洗い、食べては洗い。
(しかもエキストラ内ですら序列がある)
箸を待てない人(デブ)は海で手を洗ってご飯を食べて「おにぎりだ」という。
しかも予算削減のために、弁当は安っぽい。
「これ、田中さんのところの一番安い弁当じゃん」
「けちったな」
「弁当がしょっぱい」
「二重の意味で」
プロデューサーの弁当を見るとわりと豪華。
しかも残して犬にあげている。
「俺町まで飯食いに行ってくるわ。弁当まずいんだもん」
犬が食い残した弁当を海に捨てる。
みたいなことか。
エキストラの悲哀、ぞんざいに扱われること、
バカプロデューサー、
などなどを批判しようとしたら、
最低でもこれくらいの笑いに変えないと、
批判したことにならない。
ブラックコメディは、
批判するのではない。
笑いで批判する。
批判しているではないか、
と怒ってくる人をかわすために、
「ギャグですよ」というのだ。
だから、「ほんとにあるわけではないこと」まで、
極端に振り切らないと意味がない。
コメディは笑える。
ブラックコメディも笑える。
コメディは幸せな感情で。
ブラックコメディは知性で。
ブラックなことをやればブラックコメディになるわけではない。
脚本の坂下 雄一郎、 田中雄之は、
ブラックの才能はあるかもしれないが、
コメディの才能はない。
ちなみにここまでやっておけば、
前記事のラスト大爆発→大受け、
という皮肉なラストに対して、
手で弁当食った皆さんも感動し、内川くんも感動し、
映画制作の魔力に取り憑かれて、
めちゃくちゃなスケジュールでも受けちゃうようになればいいのさ。
ブラックコメディは皮肉である。
高度な知性が必要だ。
2017年11月17日
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