2017年11月20日

始まり方は、無限にある

どうしてオープニングはよく思いつくのに、
そのあとがうまく出てこないのか。

こう考えるといい。
オープニングはだれでも考えられるから。
そして、無限にあり得るから。


そのストーリーのベストのオープニングは、
最後まで出来ていないと判断できない。
しかし最後まで書くには、
最初のシーンを書かないと出来ない。
なんだか禅問答のようである。

ということで、いくつかのオープニングを考える訓練をしておくといい。
事件の中核から始まる場合。
主人公の無為な日常から始まる場合。
主人公が活躍するところから始まる場合。
敵方の計画から始まる場合。
奇跡が起こりそうで起こらなかったところから始まる場合。
美しい風景から始まる場合。
何かのアップから始まり、引いていくとなにかのシチュエーションに放りこまれる場合。
わけのわからない展開に巻き込まれる場合。

おそらく、どれからでも、あなたのストーリーを始めることはできる。
そしてどれからでも、
オープニングから引き込むことは、
ある程度の実力を持っていれば可能である。

オープニングは、だから、
誰でも書ける。
わくわくする始まり、
謎の始まり、
全貌が見えていない期待感、ミステリー感、
静かなテンション、いきなり心拍数が高まるパターン、
色々なパターンを書くことができる筈だ。

もしあなたが、
「このあと語られるストーリーに責任を持たなくていいから、
面白そうなオープニングだけ考えてよ。
オープニングライターとして頼むわ」
と言われたら、
おそらく10個くらいはすぐに考え付くだろう。
色々なジャンルの、色々なパターンを書きたくなるだろう。

ということは、
オープニングなんて簡単なんだよ。
誰でもそれくらいは思い付くよ。
映画を一杯見ていれば見ているほど、
オープニングだけは沢山見ているだろうからね。


問題は、
そのあとのストーリーが面白いかどうかで、
オープニングが面白いかどうかは、
意外と関係なかったりするということだ。
だってそういう映画も、たくさんみてきたはずだ。

勿論、面白いオープニングであることは歓迎だが、
オープニングが面白いが本編は詰まらないのと、
逆にオープニングはたいしたことないのに本編はすごく面白いのなら、
後者のほうか断然よいわけだ。

それさえできたら、
逆に、
その本編にふさわしい、面白いオープニングを、
あとづけすればいいのだ。
つまり、リライトで面白く始めればいいだけのことである。

オープニングなんて誰でも書ける、
というスタンスに立てば、
それは簡単にわかること。


面白そうなオープニングを書いて、
面白そうなタイトルが出るところまで書いたはいいけど、
そこから先がうまくいかなくて、
挫折した人は多いと予測する。

それは言葉を返せば、
オープニングなんて誰でも書けるからである。
そのあとが難しいのに、
オープニングを書いて、
おれは書けると悦に入っていた、単なる自己満足が、
その行為である。
いわば、映画の出落ちを書いていただけなのだ。


今日も「思いついた!」とナイスなオープニングが、
世界のどこかで書かれているだろう。
しかしそのいくつが、最後まで面白く書けるのだろうか。
考えただけで、その確率の低さに恐怖するよね。

つまり、「思いついた」とオープニングから書き始めても意味がない。
もっと核心になる部分、
主人公の行動であるとか、テーマが明らかになるシーンとか、
ラストシーンの感動とか、
面白げなシチュエーションとか、
お楽しみポイントとか、
第一ターニングポイントとか、
そういうことを「思いついた!」と思わなければならない。


オープニングなんて、
誰にでも書ける。
無限にありえる。

出会い方は無限にあるのに、
ゴールまでなかなかいかないのと同じだと思えばいいのかもしれない。

始まり方は、無限にある。
その中から、リライトで定着させるとよい。
当然、テーマを暗示し、
伏線に上手になっているように、
リライトされるのが理想だ。
posted by おおおかとしひこ at 18:41| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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