どうしてオープニングはよく思いつくのに、
そのあとがうまく出てこないのか。
こう考えるといい。
オープニングはだれでも考えられるから。
そして、無限にあり得るから。
そのストーリーのベストのオープニングは、
最後まで出来ていないと判断できない。
しかし最後まで書くには、
最初のシーンを書かないと出来ない。
なんだか禅問答のようである。
ということで、いくつかのオープニングを考える訓練をしておくといい。
事件の中核から始まる場合。
主人公の無為な日常から始まる場合。
主人公が活躍するところから始まる場合。
敵方の計画から始まる場合。
奇跡が起こりそうで起こらなかったところから始まる場合。
美しい風景から始まる場合。
何かのアップから始まり、引いていくとなにかのシチュエーションに放りこまれる場合。
わけのわからない展開に巻き込まれる場合。
おそらく、どれからでも、あなたのストーリーを始めることはできる。
そしてどれからでも、
オープニングから引き込むことは、
ある程度の実力を持っていれば可能である。
オープニングは、だから、
誰でも書ける。
わくわくする始まり、
謎の始まり、
全貌が見えていない期待感、ミステリー感、
静かなテンション、いきなり心拍数が高まるパターン、
色々なパターンを書くことができる筈だ。
もしあなたが、
「このあと語られるストーリーに責任を持たなくていいから、
面白そうなオープニングだけ考えてよ。
オープニングライターとして頼むわ」
と言われたら、
おそらく10個くらいはすぐに考え付くだろう。
色々なジャンルの、色々なパターンを書きたくなるだろう。
ということは、
オープニングなんて簡単なんだよ。
誰でもそれくらいは思い付くよ。
映画を一杯見ていれば見ているほど、
オープニングだけは沢山見ているだろうからね。
問題は、
そのあとのストーリーが面白いかどうかで、
オープニングが面白いかどうかは、
意外と関係なかったりするということだ。
だってそういう映画も、たくさんみてきたはずだ。
勿論、面白いオープニングであることは歓迎だが、
オープニングが面白いが本編は詰まらないのと、
逆にオープニングはたいしたことないのに本編はすごく面白いのなら、
後者のほうか断然よいわけだ。
それさえできたら、
逆に、
その本編にふさわしい、面白いオープニングを、
あとづけすればいいのだ。
つまり、リライトで面白く始めればいいだけのことである。
オープニングなんて誰でも書ける、
というスタンスに立てば、
それは簡単にわかること。
面白そうなオープニングを書いて、
面白そうなタイトルが出るところまで書いたはいいけど、
そこから先がうまくいかなくて、
挫折した人は多いと予測する。
それは言葉を返せば、
オープニングなんて誰でも書けるからである。
そのあとが難しいのに、
オープニングを書いて、
おれは書けると悦に入っていた、単なる自己満足が、
その行為である。
いわば、映画の出落ちを書いていただけなのだ。
今日も「思いついた!」とナイスなオープニングが、
世界のどこかで書かれているだろう。
しかしそのいくつが、最後まで面白く書けるのだろうか。
考えただけで、その確率の低さに恐怖するよね。
つまり、「思いついた」とオープニングから書き始めても意味がない。
もっと核心になる部分、
主人公の行動であるとか、テーマが明らかになるシーンとか、
ラストシーンの感動とか、
面白げなシチュエーションとか、
お楽しみポイントとか、
第一ターニングポイントとか、
そういうことを「思いついた!」と思わなければならない。
オープニングなんて、
誰にでも書ける。
無限にありえる。
出会い方は無限にあるのに、
ゴールまでなかなかいかないのと同じだと思えばいいのかもしれない。
始まり方は、無限にある。
その中から、リライトで定着させるとよい。
当然、テーマを暗示し、
伏線に上手になっているように、
リライトされるのが理想だ。
2017年11月20日
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