2017年11月23日

削り方

削ることは難しい。
下手に削るとダメダメになる。

ダメな削り方と良い削り方。


思ったより長さが膨らんでしまった、
思ったより予算がかかる内容になってしまった、
これは日常茶飯事だ。

途中で予算などがなくなり、
スタートしたときより規模を縮小しなければならなくなった、
これも映像の世界では(残念ながら)日常茶飯事だ。
じゃあ止めましょう、とはなかなか行かず、
削ることで対応をしなければならない。

増やせることは滅多にない。
減らすこと、削ることが日常だ。

しかしながら、
世の中には間違った削り方が横行している。


1. 数値目標を出さない

「ちょっと削って」「もうちょい」「あと一声」
なんてやり取りを続けるのはプロとして不毛である。
「予算が3割削られたので、
7割に収めるように削ってください」
などのように数値目標を出すのが誠実というものだ。

目標さえあれば、
どれだけ近づけたか測定可能になる。
どんぶり勘定はそこにはない。
予算じゃなく、たとえばページ数でもいい。
削る目的ならば、目標値を。

ダイエットで目標値を出さないことを想像すると良い。
頑張って削ったら、まだだと何回も永遠に言われ続ける感じ。
目標なき努力は地獄であり、疲弊しか生まない。

もし数値目標を出さないやつがいるとしたら、
向こうの思ったよりもこちらが予算を削って、
向こうの懐にいくらか差額が入ることを期待している、
悪いやつだと思いなさい。
(あるいは数字でビジネスを読んでいない無能かだ)

自分で削るときも同様だ。
○ページ以内にしよう、
○○万円以内にしよう、
などとやる。(アマチュアで予算を気にすることはあまりないだろうが)


で、真の問題は、
7割に削らなくてはいけないときでも、
感動や面白さを7割にしてはいけないということだ。

最初のほうが良かったと言われては、
リライトの腕が素人だと言われているのと同じだ。
プロは3割削っても10をキープする。
それどころか12にして返す。
ギャラをその分払える賢い人はいない。

面白さが数値化出来ないのがつらいところだね。

でも人間というのは不思議で、
面白くなったか詰まらなくなったかは判断できる。
それはやはり、映画は面白さを競うものだからだ。


では、
7割に削らなくてはいけなくても、
10を保つ方法はあるか。
まずダメなのは、次のようなものだ。


2. 全部を均等に削る

コース料理の全皿が7割に小さくなった感じを想像しよう。
なんかしょぼいね。
昨今話題の、減り続けるポテチのようだ。

たしかにコストは7割になっている。
しかし良さも7割。
「良かった」のラインが8割9割だとしたら、
合格ラインを割るわけだ。

削るときは、一番大事なところは削ってはならない。
ストーリーはどこが大事か?
一番はクライマックス。
二番はどこかな。オープニングかな。第一印象だからね。
オープニングは無限にある、
という昨今議論していることから考えると、
カタリスト(事件の始まり)のほうが削らないほうがいいかも。
そこから生じることが、全ての流れだからだ。
起点と終点は崩さないほうがいい。
そこを変えるとまるで違う話になるのは、
やってみればわかる。
重要ポイントには、
第一ターニングポイント、第二ターニングポイント、
ミッドポイントなどがあるが、
これらはうまく削れる可能性はある。
一端生じた流れの途中を多少変更しても、
大きな流れが同一ならば、
人は同じだと認識できる。

細かい削りを積層するべきか、
どかんとデカイ削りだけで対応できるかは、
ケースバイケースだ。

削り慣れしていないと事前判断は難しい。
やってみないと分からないところもある。
体力があるなら、複数の削り方で、
どれがいいかを試しても良い。
(まあリライト中は切羽詰まっているから、
そんな余裕はなかなかない)

削ることは、
何が大事で何が大事じゃないか、
見極めること。
それを見誤ると、失敗する。
自分は要らないと思ったけど、
意外とみんな好き、というシーンもあったりする。

映画「いけちゃんとぼく」で、
「見えないはずのいけちゃんに、
母親が話しかける」というオリジナルのシーンを書いた。
主人公ヨシオの成長という本筋とは関係ないので、
最初は削った。
でも意外に人気シーンだったので、復活させた。
自分は意外なところで評価されている。



3. 要素を削る

バンドメンバーを一人削らなければいけない。
よし、ベースを減らそう。
これは間違った削り方だ。
低音のない音楽はしゃばい。

正解は、「ボーカルにベースを持たせる」だ。
あるいは、「キーボードシンセでベースパートもやる」
も可能かもしれない。

要素を削ると、
それで成立していたハーモニーが崩れる。
ハーモニー自体を崩すのは、大幅改訂だ。
勿論そこまでの事情の場合もあるけど。

ハーモニーを崩さずに削るのは、
「一つで二つを兼ねる」ようにすること。

登場人物を一人削るなら、
役割を二つやらせると良い。
ある場面を削るなら、
その要素は別の場面でやると良い。

うまく融合できないなら、
別の要素と融合させるか、
それでもダメなとき、
ハーモニーを崩すことを考えよう。
それは、新しいハーモニーを作るということで、
失敗の可能性を常に含む。


これは空間的要素であるが、
時間的要素についても同様だ。
段取りの一部を省略できるのかどうかは、
それを何かと同時にやればいいこともある。


削ることに向き合うことは、
「これは効果的に効いているのか」
に向き合うことであり、
「何に効いているのか」に向き合うことであり、
「何が本質で、それはどのような構成素であるべきか」
に向き合うことだ。

機械的に削ることは、
これらを損なう可能性が高い。

つまり、削ることはクリエイティブである。
感覚のない人間には出来ない。
理屈で出来るものでもない。
posted by おおおかとしひこ at 09:50| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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