2017年11月27日

リライトのときに失われがちなもの

「大事なことだから、ここでもう一度強調しておこう」と、
「言うまでもないことだから、言わないでおこう」。

リライトのとき文脈が変わると、
この二者がまるで逆の効果になってしまうことがある。


私たちは普通、最終型しか見ることはない。
しかし実際のところ、
脚本は何稿もあり、
撮影でもいくつかの改稿があり、
編集でもいくつかの改稿がある。

だから、たいていは、
最終型はリライトを重ねまくったものだ。

良くしていく目的でしていたとしても、
おかしなことになることがある。
近視眼的には合ってても、
全体から見ると変だということは、
リライトのときに一番経験することだ。

絵描きが時々遠くから見て次に筆を入れるべき所を判断するような、
そのようなことは脚本では出来ない。

頭から尻まで通読することがそれに当たるのだが、
そのときは、
ついついチェックに気を取られてしまい、
「初見の人がどう見るか」に全力を注ぐことは難しい。

(従って、リライトをするときは、
自分が初見の人になるために、
三ヶ月から半年あけてから読む、
という物理的方法を推奨している。
しかし現実的スケジュール、
たとえば二週間や一ヶ月でこのような期間を取ることは難しい。
完全に忘却することはなかなか難しい。
で、よくやるのが、「全然別のことをすること」だ。
ゲームや家事や運動などはとてもよくあること。
もう一本書く、ということすらよくやることだ)


で、本題。

以前あったことを蒸し返し、
強調し直している部分をチェックしよう。

もうひとつ、これは言外のことなので、
チェックすることが困難なのだが、
繰り返し言うまでもないこと、
わざわざ言うまでもないこと、
をチェックしよう。
意図的に言わないこと、はストーリーの意図なので、
それは除外してよい。

たとえば、
「さっきの説明をもう一回繰り返すかい?」
なんて台詞は、前者だろうね。

手すりが壊れて転落して人が死んだシーンがあったとき、
次に手すりを叩いて確かめる仕草は、後者だ。


リライトで、
さっきの説明シーンが削除されたり、
説明の内容が変わってしまったり、
説明シーンがあとに交換されてしまったときは、
この台詞もリライトの対象になる。
これは物理的に見える台詞だから、まだチェックのしようがある。
(複雑なリライトをして、ぐちゃぐちゃになって、
脚本の最終稿には残っていて、
撮影時に役者にこの台詞が分からないんですが、
と言われて気づくときもあるし、
そのまま撮影して編集で気づき、
切ることでしか対処できないこともある)

問題は言外のほうだね。

手すりで死ぬシーンを削除すれば、
あとのシーンは意味がない。
手すりで死ぬのではなく、食中毒に変更になったら、
手すりを叩く仕草に意味はなくなる。
(その後に食事をしようとして、みたいなシーンを挿入しないといけなくなるが、
それはそもそもあとのシーンの流れを意味なく変更することになるかも知れない。
しかし手すりを叩くことが後半重要になってくるなら、
これを食事シーンに変えなければならない)
転落シーンがあとに来るようになってしまったら、
手すりを叩くのは予言または伏線になってしまう。


こういうことに、リライト中に気づけるかどうかが、
リライトを成功させることが出来るかどうかで、
これに慣れていない人のリライトはたいてい失敗するので、
「手を入れる前の最初の方が良かった」となり、
最初のイマイチのバージョンが公開されるはめになる。

つまり、ライトと同様、リライトも技術と経験なのだ。

とにかく僕が数をやれというのは、
このような小さな積み重ねや、
小さな失敗と反省を、毎日やれということに他ならない。
技能というのは失敗とそこから立ち上がった回数で、
カウントされるべきだ。
(ただ失敗しただけは数えなくていい。
なにもしないよりはましだが)


何を前提としていて、
これはもう一度強調するべきか、
一々言及するまでもないか、
それを判断するのに適当なのは、
架空の聞き手を設定し、
「口で説明するのを頭から尻まで通すこと」だ。

手で書くのではなく口という、別の出力装置を使うのがアイデア。

それをビデオで撮るのもオススメ。
自分が説明がいかに下手かを痛感しながら見なければいけない拷問だけど、
観客はこれを見に来るのである。

そのときに、
無駄に同じことを繰り返してるなあと思ったところはカットすればいいし、
ここもうちょっと説明が欲しいなあと思えば足せばよい。

今回は言及のありなしだけど、
リズムやテンポのことを見たり、
長さや中弛みをチェックすることにも使えるので、
あれこれ考えあぐねて二時間浪費するくらいなら、
作品から離れて、空で架空の聞き手に語ってみるとよい。

音声というリアルタイム物理が存在するので、
(文字はそうではない)
リアルタイムで反応、思考ができるよ。

そうすると、
ただ間を置くだけで説明の必要はない、
なんてこともチェックできる。
posted by おおおかとしひこ at 11:04| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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