このコントロールはなかなかに難しい。
ほんとの魂は、クライマックスまで取っておくんだ。
好きなおかずは最後まで取っておく派?
そうだとしたら、この感覚は理解できるかも知れない。
好きなおかずは最初に全部食べちゃう派は、
最初に思いをだーっと吐き出して、
あとにどうでもいいものばかり残ってしまう人かも知れない。
実際そういう人が執筆を続けるには、
また皿に別の好きなおかずを持ってこないといけない。
つまり、皿はどんどんぐちゃぐちゃになっていく。
好きなおかずを最後までとっておく人は、
組み立てをする。
最初はジャブから、
次にこっちにいき、あっちにいき、
気持ちが高まったところでクライマックス、
というように。
料理一つでも、組み立てをするのである。
好きなおかずから順番に食べてしまう人は、
好きなおかずを最後までとっておく人と飯を食ってみるといい。
そしてどういう組み立てをして、
最後のクライマックスにたどり着いているか、
逐一質問したり、食後に一気に聞いてもいい。
その人の飯ぐらいは奢らないと、気分を悪くするだろう。
これは脚本の勉強なのだといっても納得してくれないかもだから、
組み立てというのを勉強してる、
と説明するのが無難かな。
なぜそれから始めるのか。
なぜそれに行きそれに行かないのか。
いつその組み立てをするのか。
組み立てを途中で変更するのか。
今回の組み立ては最高の組み立てだったか?
そういうことを逐一質問するとよい。
まあその人もそこまで組み立てているわけではないかも知れないが。
少なくとも、
無計画に好きな順に行くよりも、
クライマックスに向けた計画があり、
計画の遂行を楽しんでいる、
ということを実感することは出来るはずだ。
計画を英語で?
そう、プロットである。
プロットの苦手な人は、
そもそも目の前にあるものから逐次処理する思考の持ち主で、
引いた目で全体を眺めたり、
順序立てたり、
計画通りに物事を執行したり、
計画を途中で変更しながらも元の計画以上のものに仕立てたり、
あることをするのに最適な計画を立てることが、
そもそも苦手なのかも知れない。
それを、おかずの組み立てという、
誰もが毎食やってることで実感してみようということである。
書きたいことがある。
それはとてもいいことだ。
しかし最初に魂を込めて全力で書くと、
好きなおかずを最初に食べてしまったことになり、
そのあとはラストまで消化試合である。
それじゃ面白くないから、
すぐ飽きてしまい、挫折が待っている。
魂はラストまで取っておけ。
火をつけて長い間じりじりと焼き焦がし、
最後に爆発させるのだ。
そうしないと最後までたどり着けないし、
書き終えた話もバランスが悪いと思う。
息も絶え絶えに、どうにかラストまでたどり着く話が、
人を夢中にさせる練られた娯楽かつ芸術であるはずがない。
好きなおかずを最後までとっておくのと、
同じことを組み立てるのだ。
2017年12月02日
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