前記事のカタナ式記事(打鍵感覚)は、
表現とはなにかに肉薄したと思うので、
配列のところは飛ばしても読むと面白いと思う。
なぜ人は言葉を発するのか、という根本に迫ったつもりだ。
さて、言葉を発する表現という行為がある。
それと、プロとしての作品はまるで違うものである。
言葉をもたぬ猿が、
「ああああああ」ということは、
何を意味しているのか。
それは主張である。
なにかしたい/または拒否のどちらかだ。
それが何万年か経って、日本語に進化しただけだ。
表現とは一種の主張である。
「わたしはこう思う」ということを言っている。
わたしはこれが好き、でも、
わたしはこうしたかった、でも、
わたしはこういうのが得意、でも、
わたしの無意識が出たものはこんな感じ、でもいいと思う。
もちろん、「これはこうあるべき/こうでないべき」
のような明確なものがあっていもいいし、なくてもいい。
自己表現とはそれがすべてである。
ファッションでそれをする人もいるし、
生き方でそれをする人もいるし、
好きなものを集めてそれが自分という人もいるし、
言葉や作品で示す人もいる。
アマチュアであるうちは、それは素晴らしいことだと思う。
だから好きなものが同じ人がいるとうれしい。
同好の士とはそういうことだ。
好きなものが同じだけでそれは仲間だ。
だから表現は、
好き/嫌い、仲間/仲間じゃない、
というカテゴリに別れる。
だから同好会やファンたちは必ずセクト同士でケンカする。
それは好きのベクトルが違うからだ。
(ケンカしない大人がいればいいけど、必ず子供が混ざるからね)
まあ、アマチュアのうちはそれでいい。
自分/好きなもので存分に語るといい。
表現の楽しさ、自己の解放の面白さについて味わうといい。
しかし、それはプロの表現とは全然関係ないということを知ろう。
プロの表現とは、
「どれだけ自己を表現できたか」ということは関係ない。
「観客に、どれだけ自己を開放させたか」
ということと関係する。
アマチュア時代は、
好みが一致するところを探せば必ず観客はいるし、
自己の解放と観客の解放が一致していて幸せであった。
(特にネット時代になって同好の士が探しやすくなった。
これはアマチュアにとって朗報であるとは思うが、
そこで安住する人を増やす、固定化の役割も果たしている。
ネット時代でなければ、
さっさとプロになる才能が、
アマチュアどまりで満足していることもある)
プロではそうはいかない。
何が違うかというと、観客の規模だ。
プロは一億の人間を相手にしなければならない。
クラスタとかセクタとか言っているレベルではなく、
日本人の集合的無意識を相手にしなければならない。
日本人なら一億、世界なら70億。
それらをどう相手にできるか、ということだ。
間違ったまず最初の考えは、
「観客の好みはどういうものだろう」と考えることだ。
商業誌に連載しはじめたら、
「受けを狙って、好きなものばかりかいていたころとは違う」
なんてことをよくいうけど、
それは意識の低い作家の話にすぎない。
プロは、観客の好みなんて全部分かっていなくてはならない。
様々な好みの人がいて、
それに共通するものなんてない、
ということも分かっていなくてはならない。
観客は好みがカオス。
それがまずプロになる大前提だ。
しかしなんらかの流行りや傾向はある。
それは今現代を生きていれば、なんとなくわかる程度のことでいい。
流行にある程度敏感であれば、その空気感は分る。
だがそれに乗っかろうとするのは、
プロとして浅はかである。
なぜなら、その流れはいずれ変わるからだ。
流れがあるうちに発表できれば、波に乗る事ができるかも知れないが、
今の時代、流れはすぐに途切れる。
真似して作ったってもう遅かったりする。
そんなものに乗っかる時代は、もう終わったといってよい。
昨日受けたネタを、今日やる程度にしか効かない。
明後日はもう忘れているだろう。
プロがすることは、
「半歩先の未来にシンクロする」ことだ。
「次の波を予測する」ことだ。
なぜなら、
プロの仕事とは、
新しい流行を作ることだからだ。
追っかけるのではない。
先に行き、追っかけさせることだ。
媚びたやつはモテナイ。
モテルのは、芯があるやつだ。
その芯はどこから来るのか?
自分の好みがあることはたしかだ。
人は、好きでやっていない事は魅力的ではない。
だから少なくとも、本気で好きなことしかやってはいけない。
その好きでない感じは必ず伝わってしまうと思うと良い。
じゃあ、自分の好きなことだけやるといいのか。
それも違う。媚びてもいけない。
プロがほんとうにやるべきことは、
自分が本気で好きになれることで、
かつ、
次に流行りそうなことを、
扱うことだ。
その集合を見つけた時、
あなたの作品は爆発する可能性がある。
「次に流行りそうなこと」を、
昔はプロデューサーが本気で探していた。
だから若い才能も出やすかった。
しかし今はリスクが恐くて、
「前流行ったもので保険を」というプロデューサーばかりで、
だから保守的なものしか作っていない。
そういう時代に必要なものは、
「先に作って流行らせてしまう」かもしれない。
ユーチューバーなる人たちは、
今の時代の勝ち組である。
もっとも、フィクショナルなストーリーでではなく、
芸やしゃべりやネタなどの、
ノンフィクショナルな部分で受けたわけだけど。
(そういう意味では、昔のハガキ職人と資質が近い)
彼らは媚びているかい?
自分の道を行きながら、
観客も楽しめることをやっている。
原則は同じだ。
どこか媚びはじめたり、
課金のことを考え始めたら、落ちていくだろうね。
あくまで、みんなも俺も楽しめることのクロスポイントを見つけることが、
プロとして必要な事だと思う。
僕は今てんぐ探偵をこつこつ書いている。
しばらくしたら受けるのではないか、
という確信を持っていて、
それに間に合うかどうか、結構不安だったりはする。
まあ、流れはいつだって変わるからね。
何が世間とシンクロするかは、誰にも分らない。
自分をただ表現するのは、
猿が叫ぶことと本質的には変らない。
それは同好会どまりだ。
プロになりたいのなら、
その先を考えなくてはならない。
みんなの意識がシンクロするくらい面白いとは、
どういうことか。
感情移入に鍵があると思う。
勿論、これまでなんども書いてきた通り、
「自分に近いから感情移入する」のは共感でしかなく、
感情移入のごく一部でしかない。
ほんとうの感情移入とは、
「自分とは全く違うのに、
これは俺のことだと思ってしまうこと」が必要だ。
つまり、外形は違うのに、
中身や内面がまるで自分のようだ、
というシンクロ性を作ればいいわけだ。
それには、人間が共通してもつ「感じ」みたいなことが、
ヒントになる。
私たちが全く違う外国のことにも感情移入できるのはなぜか、
を考えると、逆に分かるかも知れない。
自己を表現して、
共感する「いいね」を稼ぐことは、
所詮アマチュアのやることだ。
プロはそれを超える技術と実力が備わっていなくてはならない。
リアリティーとフィクションの間を、
うまく縫いながら。
感情移入について考えています。
最近日本のテレビドラマを斜に構えながら見ていて、
おバカな妻の主人公がおバカなりにがんばって夫に尽くすのですが、
空振ってて感情移入できないところから、
その妻が夫に「こういうの気持ち悪い」と言われてへこんだところで
スッと感情移入できてしまいました。
そのときに「感情移入はもしかして”同情”に近いのではないか」、と思いました。
ネアカにポジティブパワーで突き進ませるよりも、
苦難で落ち込ませる方が感情移入の鍵ってことはあるんですかね…
大岡監督の意見を聞きたいです。
あともうひとつ、ネアカで言うと孫悟空やパズーにはみんな感情移入というほどには感情移入してないような
気もするんですが、プロットやバトルがの激烈な面白さという尺度には
「感情移入すら必要ない」というレベルがあるのかどうか。
感情移入はできなかったけど面白かった、というのは成立するのか。
そのへんもご意見頂きたいです!
悟空やパズー(その原型であるコナン)は、
「自分より上のキャラクター」、
同情は、
「自分より下のキャラクター」
と考えると分かりやすいかもしれません。
前者はアニメの方法論(元をたどれば神話)、
後者は伝統的な河原乞食の方法論です。
どちらも日本で発展しました。
一方欧米では個人主義が台頭したときに、
僕が論じている感情移入が生まれたのではないでしょうか。
映画では始まって数シーン以内に、
主人公の不足や欠点を示すべきです。
ここに同情を使うのはよくある手。
たとえヒーローだろうが、乞食だろうが、
「弱点を克服していくこと」という大筋において、
我々と似たような人間である、
という個人主義的内面のストーリーが、
映画の到達した感情移入ではないかと考えます。
これは実写ならではだと思います。
漫画の実写化で足りないのはここです。
スパイダーマンの原作を読んでいませんが、
映画スパイダーマン2(ライミ版)の、
冒頭15分の感情移入はパーフェクトです。
ジャンプ漫画において、
映画の意味での感情移入は殆ど存在しません。
「風魔の小次郎」ですらも。
僕は、感情移入出来ない漫画小次郎を、
感情移入出来るドラマ小次郎に仕立て直したつもりです。
比較してみると良いでしょう。
"おはなし"としての入門が、
日本の昔話やアンパンマンや戦隊、少年漫画で、神話よりあるのに対して
海外の童話は感情移入と克服がある、てのも関係してそうだなと思いました。
日本人のストーリーテラーは"共感"に逃げがちで、
作劇の教育が体系化されていないのも含めて
感情移入づくりが苦手なのかもしれませんね…。
精進します。