スマホの配列がやりにくくなったので、欲求不満がたまり、
ちょっとパソコンで書いてみる。(笑)
剣の達人は、動けばそれは全て剣となるという。
文の入力もそれになるべきだと思う。
思えば文。
手やキーボードが邪魔しない。
そういう状態が理想だ。
文字入力を学び始めた人は、
そこに辿りつく為に、予想以上に大きな代償を払いすぎている気がする。
言うまでもなくqwertyローマ字の不合理さと、
JISカナ入力の不合理さだ。
どうやったって、このふたつの方式で、
「思えば文」なんて状態になれるのは、ごくわずかの人だけだと思う。
最強の武道は何か?という問いがよくある。
千人に一人だけ最強になれるが、あとは脱落する武道と、
ほぼ全員がそこそこ強くなるが、最強の才能には負けてしまう武道。
僕は後者のほうが優秀なメソッドだと考えている。
層の厚いのが正義だ。
作家としての才能とは関係ない、
たかがタイピングで、
脱落者を増やすわけにはいかないと考えている。
それにはqwertyはハードルが高すぎだ。
勿論タイパーみたいな才能のある人はいるけれど、
それは作家の才能とは関係がないと思う。
作家は文を練るべきで、
タイピングを練るべきではない。
勿論、書道の上手い人は文章も上手いかもしれない。
しかし書道が上手いからといって文章が上手いとは限らない。
作家は、文章が上手くなるべきだ。
そのためには、qwertyは枷でしかない。
僕はそう思って、
その枷をぶちこわした。
おかげで、これだけブログを書いている。
ついでに小説もね。
僕は、失語症みたいなものだった。
自由に言葉を発したい、
ただそれだけだったのだ。
だからデジタルは嫌いで、
でもカタナ式があればデジタルは恐くなくなってきた。
勿論まだ手書きのほうが優秀だとは思っているが、
現状、フリックよりも下駄配列よりもqwert配列よりも、
自分の「動けば文」が出やすいメソッドだと考えている。
全員が使えることが僕の夢だけど、
強要はしない。
それこそ自由を奪い、言葉を剥奪する行為であるからだ。
カタナ式は、
すべての日本語の入力方式の中で、
もっともシンプルで、
もっとも省エネだと思う。
それはいずれ証明していきたい。
動けば剣。剣の達人はそうだ。
動けば文。
思えば文。
あとは何を斬るか。
斬って何をどうするかを、考えるだけである。
考えて、次に手を動かしていては遅い。
考えたら、気が付いていたら出来ていた、が理想だ。
そのカタナが、あなたの懐にあらんことを。
2017年12月05日
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