2017年12月05日

異常事態

みんな異常事態が大好きだ。
宇宙人が攻めてきた。
ある朝起きたら虫になっていた。
突然霧に覆われて出られなくなった。

なんでもいい。好きな異常事態を描こう。
問題は、その抜け出し方もストーリーに含まれることだけど。


物語とは、
普通の日常が、ある日突然まったく違う事態になることだ。

それは宇宙人みたいな外連味のあるものから、
転校生に恋をしたみたいなものから、
ある日体重が増えたのでダイエットを決意した、
などまで、
様々なレベルのものがある。

その中でも、
日常系よりも、
とんでもない異常のほうがいいよね。
それはやっぱり、
物語に現実逃避という役目があるからだと思う。

リアルには宇宙人は来ないけど、
物語の世界ではしょっちゅう宇宙人はやってくる。
リアルでは見れない異常事態は、
見世物の範疇だ。
見世物に来てまで、日本の暗い未来は見たくないだろう。
(いや、画期的な解決策が提示されるなら価値はあるかもだが)


だから、
物語の半分は、
「どれだけ面白い異常事態を創作できるか?」ということだ。

しかしその異常事態は、
物語の中で見事に収束しなけばならない。
異常で終わったらそれはオチがない話になってしまう。

結局のところ、
ストーリーというものは、
どういう異常事態から、
どういう日常に再着地したかということを競う。

嘘だと思うなら、
異常事態のまま終わる話を書いてみたまえ。
どう考えても打ち切りにしか見えないだろう。


ということは、
物語創作の残り半分は、
「異常事態をどうやって新しい日常状態におさめるか」
ということになる。

実際のところ、
これは50%などではなく、
99%の分量なんだけどね。

つまり、異常事態なんて、ストーリーを考える労力のうち、
1%程度の労力だ。
にもかかわらず、
最初のツカミは100%冒頭の異常事態の面白さで決まる。
これがストーリーの不思議なところだと僕は思う。

さて、
第一印象を決める、
面白い異常事態を考えよう。
おっ、これはみたことがないぞ、
という新しいパターンを考えよう。

これで半分は決まってしまう。


残りの半分、その見事な解決を考えよう。
実際のところは、
異常事態を考えた99倍の労力がかかる。
それを見事に解決できたときに、
あなたの面白いストーリーは出来上がるだろう。



さて、よくある問題に、
「自分で解決できないほどの異常事態」を考えてしまった、
というのがある。

自分一人では解決ができなくても、
協力したり、相手の力を使用したり、
強力ななにかを使えば、
解決できるかもしれない。
あるいはあっと言わせるアイデアが、
解決に導くかもしれない。
それを考え出すことが物語創作の醍醐味だともいえる。

リアルな問題解決から、
なるべく離れることをお勧めする。
リアルに近ければ近いほど、
みんな自分のリアルと比較して考えてしまうからだ。
リアルに近いほど、
こんなうまく行かねえよ、
と冷めてしまうからだ。
(たとえばスラムダンクは、
たかが一年で全国へ行けるはずがない、
というリアルな問題に近い。
しかしそれをどう奇跡的に突破していくかが、
フィクションの醍醐味なのに。
つまり、リアリティを追求しすぎて、
ダイナミズムが失われたんだね。
結果は打ち切りというか、
これ以上書けないところでの中断でしかなかった)


物語は、嘘を楽しむ道具だ。
だから、異常事態は面白いほどよく、
解決も見事ほどよい。
リアリティ溢れる物語とフィクションは両立できる。
世界はフィクショナルで、気持ちはリアリティで勝負するとよい。
世界をリアルに、気持ちもリアリティにすると、
飛べない話になる。小さくまとまった地味な話になる。
たとえば「海街ダイアリー」みたいな退屈な映画になる。
(四姉妹がカワイイというのがフィクションだ)


また、
異常事態と解決のペアが出来たら、
それから更に発展させるといい。
さらに異常事態になり、
解決するもまた異常事態が起こり…と連鎖を組むとよい。
そういう連鎖こそが、
二転三転の面白い話というものだ。

とりあえず、
ひとつの異常事態と、
ひとつの見事な(安易でない、劇的な)解決。
全てはそこからはじまる。


posted by おおおかとしひこ at 22:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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