悲しみを書きたい、
喜ぶところが書きたい、
怒るところが書きたい、
言葉に出来ない得もいわれぬ感情を書きたい。
その衝動があるならば、それはとてもいい傾向だ。
自分の感情と分離出来ているならね。
僕は理性的にストーリーを組み立てることを奨励している。
それは、感情にすぐ人は流されてしまうからで、
それを防ぐために冷静であろうという狙いである。
あなたが苦しくたって、
ストーリーは面白くなきゃいけない。
ストーリーの面白さとは、
あなたとは関係なければならない。
じゃあ、理性で構築するべきなのだ。
しかし、ロボットのように感情を殺して書け、
ということではない。
それじゃ皮肉屋だらけの冷静な話しか書けない。
みんなが見たいのは、ドラマティックで、
感情が剥き出しになったやつだ。
だから、
まずは理性でストーリーを構築し、
場面は感情たっぷりに書くのがポイントだ。
つまり、役者と同じだ。
この場面はこのような感情で満たされている、
と把握したら、
その感情を増幅し、
自分の中に満たし、
まるで自分がそのような感情であるように、
書くのである。
困った場面なら本気で困り、
辛い場面なら本気で辛くなり、
幸せなら本気で幸せになればよい。
ただしその感情を引きずってはいけない。
それは次の場面ではまた違う感情になる。
勿論、自然に次の感情になるように、
ストーリーは出来ているはずだけど。
もし役者としてのあなたが、
自然に次の場面の感情になれないのなら、
ストーリーのどこかに欠陥がある。
どうしたら次の感情になれるのか、
そこから逆算して場面に何かを加えたり、
逆に何かを引いてもいい。
つまりあなたは、
感情で満たされたまま、
なおかつ冷静でいなければならない。
本気でその感情を書きたいと思いながら、
俯瞰でいなければならない。
そのキャラクターの喜びや苦悩や、
モニョモニョした感情を共有したい。
それは作家としての資質だ。
大いに伸ばしたまえ。
だが、ストーリーには、
あなたがなりたくない感情だってある。
起伏がある以上、
複数の人の思惑の絡み合い(コンフリクト)がある以上、
それは当然だ。
ストーリーは、七色の感情の織りなす大河である。
下手な人は、
「自分のなりたい感情」しか書かない。
キャラのイチャイチャ会話だけ(二次創作によくある)、
悪意や絶望だけ(カウンターカルチャーを気取るとよくある)、
ヒーローとして活躍する全能感の場面だけ(メアリースー)、
怒りのシーンだけ(よほど鬱憤がたまっているんだね)、
書きたかったシーンだけ(多分ストーリーとしては完成しない)、
などだ。
感情は点でしかない。
点を描くのは、静止した絵を描くのと同じで、
ストーリーを書くことではない。
ストーリーは連続した絵のことで、
つまりは感情が七色に変わる様を言う。
それがランダムに変わるのではなく、
必然性があるからストーリーになる。
ここで結局、理性に戻ってくるわけだ。
次にどうなるかが、ちゃんと決まっていて、
最終的にどうなるかの流れが、
リアリティと必然性を伴って、
構築されているかどうか。
それがストーリーである。
ということで、
感情の何かを書きたいのはやまやまかも知れないが、
その感情こそ、あなたの原始的な創作動機であるに違いないが、
それとストーリーは関係ない、
ということに気がつこう。
だってそれは、100を越えるシーンの、
わずか一場面に過ぎないからである。
しかもその感情が、
そのストーリーの中の、
最も大事な場面の感情とは限らない。
ここが厄介な所だ。
もしあなたの内に秘めた感情が、
ファーストシーンのものだったら、
それは出落ちで終わりだろうね。
それよりもストーリー全体は面白くならなければいけないのに。
クライマックスの感情が、
たまたまあなたの書きたい感情であれば、
偶然それは名作になるかも知れない。
しかしそれは再現性がない。
次もあなたの衝動が、次のストーリーのクライマックスになる保証はないし、
多分違う感情が湧く。
だから、
感情にとらわれてストーリーを書くのは、
原理上不可能だと理解しておこう。
理性でストーリーを組み立て、
各場面を書くときだけ、役者のように本気になる。
怒りを書くときは顔が引きつりながら、
ニヤニヤした場面なら顔がニヤニヤしながら書くものだ。
たぶん執筆中の僕は、
相当気持ち悪くなってるだろう。
しかも、場面を書き終えたら、
すっと冷めなければならない。
まったく、作家というのは気狂いだ。
冷静に感情の軌跡を分析して、
ベストパフォーマンスじゃなかったら、
テイク2をやってもいいんだぜ。
ワンシーン書き直しなんて、
全シーンに比べれば知れている。
リライトってのは、そういうこともするのさ。
感情にとらわれない。
かつ、その場面の感情は、
どうしてもそれをしたかったように、
かつ、相手の感情は別物でかつその人もどうしてもそれをしたかったように。
誰も彼も、どうしても吐き出したかった感情であるように。
全員、顔が紅潮し、汗がにじみ出る、
緊迫のぎりぎりであるように。
かつ、
場面が終わったら、
冷静に俯瞰して、
次に計画された感情に、
自然に雪崩込めるように。
そのように、流れるように書かなければならない。
そんなこと出来るの?
それが作家という仕事だ。
2017年12月06日
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