以前ほらさんの質問に答えたことについて、
もう少し深掘りしておこう。
物語にはみっつあると考える。
自分より上の人の話と、
自分より下の人の話と、
自分と同じくらいの人の話だ。
20才の主人公は、
子供の頃に見ればおにいさんの話で、
学生の頃に見れば同年代の仲間の話で、
オッサンの頃に見れば、昔の自分とか年下の人の話だ。
勿論これは分かりやすく年齢区分で話しているだけだ。
僕は間違ったマーケティングは、
主人公の年代とターゲットの年齢を合わせることだと考えている。
それは同年代のストーリーしか存在できないことになる。
じゃあ仮面ライダーは誰の見る話かって。
子供しか見ないんなら、
チビノリダーでも主人公にしろや。
子供たちがライダーに憧れる、
「自分より上の人の話」として見るから、
面白いのである。
さて、上とか下とかは、
年齢の話ではないというのが本題だ。
分かりやすいのは階級か。
王族や貴族の話、
セレブの話、芸能界の裏話、
などは、「自分より上」の話である。
乞食の話、日雇人夫の話、
借金した男の話、派遣の話、
チンピラの話などは、
「自分より下」の話である。
日常系だとしても格差があって、
リア充の話は自分より上の話で、
ぼっちの話は自分より下の話または自分と同じ人の話だ。
人は何かと比べたがる。
ルックス、年収、身長、学歴、
知識、地頭の良さ、コミュ力、
真の能力、持ち物、家庭、家柄、
などなどなど。
それらを総合して、自分より上か下か同じくらいかを、
常に見ている。
理性でもそうだろうし、
本能でもそうだろう。
(特に女は流行ってれば何でもいいと見る節はあるよね。
藤井聡太が急にモテモテになって、
なんでもええんかと突っ込んだ。
勿論全ての女がそうではないが、
バンドでモテるのはボーカルとギターだ)
だから、架空の物語といえど、
自分より上か下かを、
理性的あるいは無意識に、査定する。
査定の手間を省くために、
これは貴族の話です、と最初に舞台を設定して言ってしまったり、
これはアフリカの難民の話です、
などと分かりやすく上か下かを提示するものである。
微妙なやつはあとから判明する。
現代韓国の話です、
と言われて、
上の話か下の話か同じくらいの話か、
初手で判別は難しい。
分かりやすく上か下かを明示したときのことを、
まず考えよう。
まず上。
神々、貴族王族、金持ち、
成績抜群の刑事、エースパイロット、
ケンカ最強、スーパー美人、
誰にもない能力を持ってるキャラ、
なんでもいい。
神話、ヒーローものなどは、
これらの方法論である。
自分より上の人の活躍を見る。
しかし、自分より全部上のスペックの人の話を見ても、
面白くない。
最初はビジュアルや物珍しさで見るけど、
すぐに飽きて来る。
自分と関係がないからだ。
勝手にやってろとなる。
ここで、人は色んなところを比較したがる、
ということが関係して来る。
よくやるのは、
「上の人のはずなのに、
我々より酷い弱点がある」
という風にだ。
そのとたん、その人は天上の神々ではなく、
急に人間になるのだ。
王族なのに駄菓子好きとか、
成績抜群なのに女に弱いとか、
23世紀のロボットなのにネズミに弱いとか。
そもそも神話をよく見ると、
そういった人間臭いエピソードで溢れている。
なんならだらしない神々だらけで、
無茶したり判断がおかしかったりする。
だから面白いのだ。
上の神の話を見てもつまらない。
上なのに下や同じくらいだ、
というところが魅力になって来る。
凄い人なのに庶民的、
ヒーローだと思ってたらプライベートはだらしない、
不良だと思ってたら子猫を拾う、
優しいと思ってたら癇癪持ち。
人は一面の生き物ではない。
全部が上ではなくて、
もっと凸凹している。
だから人間だ。
こうして我々は、
自分より明らかに上の人なのに、
なんだ俺たちと変わらないではないか、
と思い出す。
これが感情移入の正体だ。
遠山の金さんは、
白州の偉い人だけど、
普段は庶民の顔で呑んだくれているのだ。
このギャップが魅力であり、
私たちが感情移入する隙間なのだ。
自分より下の人の話はどうか。
貧乏人、子供などを考えれば想像はたやすい。
何もかも下の人なら、
どうでもいい。
精々自分より不幸になっていくのを、
神の視点で蔑んで楽しむだけだ。
(多くのワイドショーはそういう仕組み)
だが、
たとえば僕らよりも高潔な志があるとか、
僕らよりも優しいとか、
僕らよりも知恵があるとか、
僕らより上のものがあると見せると、
それは途端に人間に見えてくる。
そして同様に、
人には多面があるから、
自分より上のことや下のことや同じようなことがあって、
なんだこの人もただの人間なのだ、
と思ったとき、
感情移入が起こる。
ロボットは自分より上か下か判断しづらいが、
たとえば単なる機械だとして、
自分より下だとしよう。
そういう時でも、
小鳥を守る優しさがあるとか、
女ロボットに恋して、
自分の容姿にコンプレックスを感じてデートに誘えないとか、
そんなことをすれば、
急に感情移入しやすくなる。
これはキャラクター設定でもあるし、
ストーリーでもある。
エピソードによる設定になるかな。
上でも下でも、
この人は住んでる世界が違うだけで、
そう俺らと変わらないぞ、
と思わせたら、
そこが感情移入の入り口だ。
子供が主人公だから子供が見る話、
とか言ってるのはバカだ。
感情移入ということを知らないだけだ。
私たちがのび太に感情移入出来るのは、
私たちにもぐうたらな面があるからである。
じゃあ、自分と同じくらいの人の場合は?
自分と同じくらいなら、
大したことは出来ない。
大きく失敗もしない。その前に逃げるだろう。
それではストーリーにならない。
ストーリーには急降下も大逆転も必要だ。
ということは簡単で、
同じくらいに見せといて、
上の所も下の所もあるようにしておけばいいのだ。
これは設定に時間がかかるから、
技術がいる方法だ。
俺〇〇、普通の高校生、
なんて書き出しは、最悪なのである。
自分と似たようなことなら書きやすいだろうと始めても、
どうにもストーリーは進まない。
それは、自分の周りにワクワクドキドキするストーリーが転がっていないことから明らかだ。
ストーリーというのは、
自分とかけ離れた所で起こっているものだ。
だからフィクションは面白いのである。
勿論、それを分かった上で、
ごく普通の高校生を異世界に投入したって構わない。
でもいずれその人は、
我々より上かつ下のスペックが出てくるだろうね。
のび太だって射撃と居眠りが我々より上なんだぜ。
そのギャップが面白いんじゃないか。
感情移入は、
自分と違う人に、
この人も私たちと同じ人間なんだ、
と思わせた時に起こる。
自分と設定や立場が近い人に起こるのは、
ただの共感だ。
たとえば僕は監督という職業の人に共感しやすいが、
その人がイケメンだったりするとムカつく。
しかしその人が自分より性格が悪かったり、
つくる作品が酷かったりすると許せる。
そして、その人のバックボーンなどが、
田舎から出てきて頑張ってここまできた、
みたいな話を聞くと、感情移入が起こり始める。
さあこの人がなにか勝負作に打って出た、
となったら、その先を見たくなる。
もうストーリーが始まっているわけである。
こうした感情移入は、
ただの監督という職業、というだけからは生まれない。
自分より上も下もあり、
色々ある人間なのだ、
という認識から発生する。
重ねて言うが、
ターゲットの年齢層が主人公の年齢、
なんて考え方は、いかに浅くて愚かか。
あなたの主人公は、
俺たちより上か?下か?同じくらいか?
そしてどんなところが、
俺たちより上で、下で、同じくらいか?
ただの上、ただの下、ただの同じくらいは、
ストーリーに値しない。
ただの静止した履歴書だ。
ストーリーは運動だ。
主人公のギャップが、駆動力になる。
で、これは主人公について一番綿密に描かれるべきだが、
当然のことながら、
他のメイン登場人物についても、
上か、下か、同じか、
別の面で上下同じ、
などなどの多面性や方向性が、
ないと、面白くないよね。
2017年12月08日
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