2017年12月08日

自分より上、自分より下

以前ほらさんの質問に答えたことについて、
もう少し深掘りしておこう。

物語にはみっつあると考える。
自分より上の人の話と、
自分より下の人の話と、
自分と同じくらいの人の話だ。


20才の主人公は、
子供の頃に見ればおにいさんの話で、
学生の頃に見れば同年代の仲間の話で、
オッサンの頃に見れば、昔の自分とか年下の人の話だ。

勿論これは分かりやすく年齢区分で話しているだけだ。
僕は間違ったマーケティングは、
主人公の年代とターゲットの年齢を合わせることだと考えている。
それは同年代のストーリーしか存在できないことになる。

じゃあ仮面ライダーは誰の見る話かって。
子供しか見ないんなら、
チビノリダーでも主人公にしろや。
子供たちがライダーに憧れる、
「自分より上の人の話」として見るから、
面白いのである。


さて、上とか下とかは、
年齢の話ではないというのが本題だ。

分かりやすいのは階級か。
王族や貴族の話、
セレブの話、芸能界の裏話、
などは、「自分より上」の話である。
乞食の話、日雇人夫の話、
借金した男の話、派遣の話、
チンピラの話などは、
「自分より下」の話である。

日常系だとしても格差があって、
リア充の話は自分より上の話で、
ぼっちの話は自分より下の話または自分と同じ人の話だ。

人は何かと比べたがる。
ルックス、年収、身長、学歴、
知識、地頭の良さ、コミュ力、
真の能力、持ち物、家庭、家柄、
などなどなど。

それらを総合して、自分より上か下か同じくらいかを、
常に見ている。
理性でもそうだろうし、
本能でもそうだろう。
(特に女は流行ってれば何でもいいと見る節はあるよね。
藤井聡太が急にモテモテになって、
なんでもええんかと突っ込んだ。
勿論全ての女がそうではないが、
バンドでモテるのはボーカルとギターだ)


だから、架空の物語といえど、
自分より上か下かを、
理性的あるいは無意識に、査定する。
査定の手間を省くために、
これは貴族の話です、と最初に舞台を設定して言ってしまったり、
これはアフリカの難民の話です、
などと分かりやすく上か下かを提示するものである。
微妙なやつはあとから判明する。
現代韓国の話です、
と言われて、
上の話か下の話か同じくらいの話か、
初手で判別は難しい。

分かりやすく上か下かを明示したときのことを、
まず考えよう。

まず上。

神々、貴族王族、金持ち、
成績抜群の刑事、エースパイロット、
ケンカ最強、スーパー美人、
誰にもない能力を持ってるキャラ、
なんでもいい。
神話、ヒーローものなどは、
これらの方法論である。

自分より上の人の活躍を見る。

しかし、自分より全部上のスペックの人の話を見ても、
面白くない。
最初はビジュアルや物珍しさで見るけど、
すぐに飽きて来る。
自分と関係がないからだ。
勝手にやってろとなる。

ここで、人は色んなところを比較したがる、
ということが関係して来る。
よくやるのは、
「上の人のはずなのに、
我々より酷い弱点がある」
という風にだ。
そのとたん、その人は天上の神々ではなく、
急に人間になるのだ。

王族なのに駄菓子好きとか、
成績抜群なのに女に弱いとか、
23世紀のロボットなのにネズミに弱いとか。

そもそも神話をよく見ると、
そういった人間臭いエピソードで溢れている。
なんならだらしない神々だらけで、
無茶したり判断がおかしかったりする。
だから面白いのだ。

上の神の話を見てもつまらない。
上なのに下や同じくらいだ、
というところが魅力になって来る。

凄い人なのに庶民的、
ヒーローだと思ってたらプライベートはだらしない、
不良だと思ってたら子猫を拾う、
優しいと思ってたら癇癪持ち。

人は一面の生き物ではない。
全部が上ではなくて、
もっと凸凹している。
だから人間だ。

こうして我々は、
自分より明らかに上の人なのに、
なんだ俺たちと変わらないではないか、
と思い出す。
これが感情移入の正体だ。

遠山の金さんは、
白州の偉い人だけど、
普段は庶民の顔で呑んだくれているのだ。
このギャップが魅力であり、
私たちが感情移入する隙間なのだ。


自分より下の人の話はどうか。
貧乏人、子供などを考えれば想像はたやすい。
何もかも下の人なら、
どうでもいい。
精々自分より不幸になっていくのを、
神の視点で蔑んで楽しむだけだ。
(多くのワイドショーはそういう仕組み)

だが、
たとえば僕らよりも高潔な志があるとか、
僕らよりも優しいとか、
僕らよりも知恵があるとか、
僕らより上のものがあると見せると、
それは途端に人間に見えてくる。

そして同様に、
人には多面があるから、
自分より上のことや下のことや同じようなことがあって、
なんだこの人もただの人間なのだ、
と思ったとき、
感情移入が起こる。

ロボットは自分より上か下か判断しづらいが、
たとえば単なる機械だとして、
自分より下だとしよう。
そういう時でも、
小鳥を守る優しさがあるとか、
女ロボットに恋して、
自分の容姿にコンプレックスを感じてデートに誘えないとか、
そんなことをすれば、
急に感情移入しやすくなる。

これはキャラクター設定でもあるし、
ストーリーでもある。
エピソードによる設定になるかな。


上でも下でも、
この人は住んでる世界が違うだけで、
そう俺らと変わらないぞ、
と思わせたら、
そこが感情移入の入り口だ。

子供が主人公だから子供が見る話、
とか言ってるのはバカだ。
感情移入ということを知らないだけだ。

私たちがのび太に感情移入出来るのは、
私たちにもぐうたらな面があるからである。



じゃあ、自分と同じくらいの人の場合は?

自分と同じくらいなら、
大したことは出来ない。
大きく失敗もしない。その前に逃げるだろう。
それではストーリーにならない。
ストーリーには急降下も大逆転も必要だ。

ということは簡単で、
同じくらいに見せといて、
上の所も下の所もあるようにしておけばいいのだ。
これは設定に時間がかかるから、
技術がいる方法だ。

俺〇〇、普通の高校生、
なんて書き出しは、最悪なのである。
自分と似たようなことなら書きやすいだろうと始めても、
どうにもストーリーは進まない。
それは、自分の周りにワクワクドキドキするストーリーが転がっていないことから明らかだ。
ストーリーというのは、
自分とかけ離れた所で起こっているものだ。
だからフィクションは面白いのである。

勿論、それを分かった上で、
ごく普通の高校生を異世界に投入したって構わない。
でもいずれその人は、
我々より上かつ下のスペックが出てくるだろうね。
のび太だって射撃と居眠りが我々より上なんだぜ。
そのギャップが面白いんじゃないか。


感情移入は、
自分と違う人に、
この人も私たちと同じ人間なんだ、
と思わせた時に起こる。

自分と設定や立場が近い人に起こるのは、
ただの共感だ。

たとえば僕は監督という職業の人に共感しやすいが、
その人がイケメンだったりするとムカつく。
しかしその人が自分より性格が悪かったり、
つくる作品が酷かったりすると許せる。
そして、その人のバックボーンなどが、
田舎から出てきて頑張ってここまできた、
みたいな話を聞くと、感情移入が起こり始める。
さあこの人がなにか勝負作に打って出た、
となったら、その先を見たくなる。
もうストーリーが始まっているわけである。

こうした感情移入は、
ただの監督という職業、というだけからは生まれない。
自分より上も下もあり、
色々ある人間なのだ、
という認識から発生する。

重ねて言うが、
ターゲットの年齢層が主人公の年齢、
なんて考え方は、いかに浅くて愚かか。


あなたの主人公は、
俺たちより上か?下か?同じくらいか?
そしてどんなところが、
俺たちより上で、下で、同じくらいか?
ただの上、ただの下、ただの同じくらいは、
ストーリーに値しない。
ただの静止した履歴書だ。

ストーリーは運動だ。
主人公のギャップが、駆動力になる。


で、これは主人公について一番綿密に描かれるべきだが、
当然のことながら、
他のメイン登場人物についても、
上か、下か、同じか、
別の面で上下同じ、
などなどの多面性や方向性が、
ないと、面白くないよね。
posted by おおおかとしひこ at 12:03| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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