ストーリーにはいくつもの象徴表現が使われる。
逆に、映画とは、象徴表現なしには伝えることが難しい。
映画で使える象徴表現の動画は、
人物、背景、小道具といった、
具体物である。
抽象的なものは写せないからだ。
たとえば税金システム、片思い、死などは、
具体物で一発で表現できない。
具体的なものを使って象徴することになる。
以下のように、組み合わせが色々ある。
1. 抽象的なものを具体物で象徴
たとえば死の象徴は髑髏のマーク。
海賊の旗が髑髏なのは、カッコイイデザインだからではなく、
死をもたらす者を旗で象徴しているわけだ。
これは世界共通だから楽だけど、
そうじゃないもののほうが多い。
たとえば友情の証を象徴すること。
一般解はない。
しかし、「そのストーリー特有の」はある。
死んだ親友が残した船とか、
引退するやつが残したグローブとか、
ライバルに貰った部品とか、
あるいは二人だけに通じるハンドサインとか。
自由に作ればいいのだ。
一回それを象徴として使ったら、
あとでそれを何度でも使うことが可能だ。
しかもそれが壊れたら「友情が壊れた」ことを、
それが他の人もあれば「友情が広がった」ことを、
示すことが出来る。
象徴表現のエネルギー効率の良さはそこにある。
小道具が象徴に使われやすいのは、
小物になにもかも託せる、その効率の良さだ。
カメラでアップにするモンタージュ表現と、
相性が良いのだ。
女の子が好かれるために頑張ってメイクしたが振られたとしたら、
二度と開かないコンパクトのアップは、
しばらく恋なんて興味がないことを象徴出来るし、
しばらくしてそれを開けたら、
(自分では意識してなくても)また恋をしてることを暗示出来る。
税金システムを重たいリュックで象徴すれば、
老人が子供に渡すだけで、
若者の重税を象徴できる。
そのストーリーでの決め事にすれば、
それを利用して表現まで持って行ける。
それが象徴だ。
たとえ話に、とても似ている。
2. 人物を具体物で象徴
あの男はロシアそのものだ、
なんてセリフがあったとしたら、
クレムリン陥落を示せば、その男の失脚を表現できる。
あの男は安酒だ、と示せば、
安酒を飲み干すか、グイッと飲んで吐くふりもできる。
具体物さえあれば、人と芝居ができる。
これが映画や演劇の手法だ。
3. 人物を抽象で象徴
あの人は風だ。
あの人の本質は怒りだ。
これはセリフでしか示せない。
どちらかといえば小説的な技法だ。
風のように去っていくのか、
風見鶏なのか、
風のように柔軟なのか、
何かを焚きつける係なのか、
それは文脈によって異なるだろうね。
絵で示すことは出来ないから、
本来、映画に馴染まない技法である。
逆に、絵で示さずに想像を膨らませる目的で置くのは、
なかなかよい考えだ。
全部を具体物で表現しておいて、
一個だけ映せない抽象で表現すると、
イメージが残りやすいだろうね。
4. 具体物や抽象物を人物で象徴
たとえば腐りきった警察のシステムを、
腐りきった警察署長で象徴するのは、
以前流行った。
彼を逮捕更迭することは、
警察の浄化を表現できたわけだ。
あるいは、
敵に、悪い考えを象徴させるのはとても良くある。
その敵を倒すことで、
悪い考えの敗北を意味するわけだ。
現実では、その人と考えはバラバラであり、
その考えが間違っていたら正せばいいだけのこと。
罪を憎んで人を憎まず、
というのが本来の人のあり方だと思うが、
最近短絡になってきたのか、
その人の発言を封じるのに、
映画のようにその人を更迭してしまうことが多いよね。
近代の議論社会への挑戦だと僕は考えているが。
最近、闇落ちまたは悪堕ちなどのように、
考え方の転向そのものが展開に含まれることがある。
リアルには見た目はたいして変わらないのに、
表現上、黒っぽい衣装を着たり表情が悪っぽくなったりして、
象徴表現として機能していることもあるよね。
人の存在が何かを代表している。
その人をどう扱うかで、
その代表しているものを扱うことが出来る。
たとえば隣国の使者を惨殺すれば、宣戦布告の意味になるよね。
結局、
何が何の象徴になるかなんて、決まっていない。
あなたが明示して決めればいい。
問題は、決めたらそれをうまく使うのを忘れないことだ。
うまく使えないなら、
その独自ルールは意味がない。
2017年12月11日
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