2017年12月10日

デジタルは人を幸せにしない:デジタルの絵は乾いている

フィルムの絵は濡れている。だから好き。
デジタルの絵は乾いている。だから嫌い。

ようやくじぶんのことばになったので、
メモしておく。




テレビがHDになってからこっち、
デジタル撮影ばかりで退屈だ。

僕はフィルムの絵を愛していて、
フィルムが回せるからドラマよりCMをやっていた。
いまや映画でもフィルムは滅多にない。

主な原因はフィルムより安いコストだ。
(ランニングコストと、照明費、人件費)
でもそのせいで絵が安くなった。
日本の映画の絵が安いのは、
カメラと照明と人件費と時間を削っているからだ。

一番でかいのは時間かな。
ハリウッド映画は1日ワンシーンかツーシーン。
(3ページ程度か)
アクションシーンなら一週間とかかける。
日本映画は1日4、5シーンくらいは撮るかも。
角川映画でやったときは、1日5ページのペースだった。
それぐらいやるとなると、
撮影部隊はコンパクトにしないと動きが悪くなる。
照明は少なくせざるを得ない。
ハリウッドがリッチなのは、照明が多いから。
あとマルチキャメラなので、
照明を一発決めればそれで終わりだから。
シングルカメラで切り返す日本方式は、
カットが変わるたびに照明を組み直す。
全部置きっ放しにできる金はない。

ちなみに風魔ドラマは、1日8ページのペースで、
アクションシーンなら半日かけられた。

CMの現場がいいのは、
大抵1シーン撮影なので、
1日1シーンという、
ハリウッド並みに秒単価がかけられること。
しかしそれもフィルム時代までで、
デジタル化されてからは、
そこまで現場に金がかけられていない。
デジタルコストダウンした以上に、
原価が下がっているからだ。

つまり、絵に金をかける余裕は、
今日本のどこの現場にもない。
よほどもうかってる上級企業だけだね。


色空間はデジタルの方がもはや広いし、
粒子はフィルムのほうがざらついてるし、
デジタルカラコレの破綻もだいぶマシになった。
にも関わらず、
ハリウッドのデジタルの絵より、
フィルムのほうが僕は好きなんだよね。

なんでだろう。
ノスタルジーはある。
最新のガラスと金属の建物より、
ヨーロッパの街並みのほうが好きだ。
それがノスタルジーかどうかはわからん。


で。

フィルムとデジタルの絵の違いが、
ぼくのことばになった。

フィルムは濡れている。
デジタルは乾いている。

人間の濃厚さは、濡れていることに起因している。
涙、汗、血、愛液、紅潮、息、手を繋ぐ湿気。
人と人の距離の空気感。
それがドラマを生んだ。
デジタルの絵は、それが抜けている気がする。
デジタルの絵は乾いていて、
乾いたドラマしか描けない気がする。

濃厚なドラマは、デジタルの絵だと滑る。
だから、濃厚なドラマをデジタルの絵で撮るとき、
手持ちで振り回して撮ることが多い。
フィックスで撮ると寒いんだよねなんか。


ちょっと技術的に考えると、
フィルムの絵は常に揺れてるからいいんじゃないか?
それはフレームが揺れてるパーフォレーションの問題じゃなくて、
ピクセルの話。

デジタルの絵って、カメラ固定して照明条件が変わらなければ、
どの(x,y)ピクセルもtに関して同一だ。
たとえば(30,30)のピクセルを拾って、
カット頭からカット尻まで見ると、
全く同一のRGBカラーがあるだろう。
センサの揺れはあるにせよ、
ほぼ同一の色がそこにあり続けるはずだ。

しかしフィルムはそうじゃない。
たとえば(30,30)の(120,80,205)の色は、
120近辺、80近辺、205近辺でそれぞれ揺れていて、
たとえば105-125,77-83,200-209みたいな、
平均して120,80,205に収まるような、
カット頭からカット尻になっているだろう。
それが私たちの目に、濡れを引き起こしてるのではないか?

デジタルの絵に粒子ノイズを足してもそうならない。
デジタル粒子ノイズは、
ピクセル化されたグレーノイズを足すだけで、
カラーの揺れは再現できても、
フィルムの粒子揺れ(センサ自体のt軸揺れ)まで乗せることは出来ないからだ、
つまり、撮影時にCMOSを微細に揺らさないと、
その変動は再現できないかも知れない。

実際、4K8Kのセンサは、
もう人間の肉眼の分解能を超えていて、
我々の知覚なんかどうでもいい段階に来ている。

デジタルの絵が正確かも知れないが、
それは人のドラマを撮るのに最適か?
という問題が、まだ残っている気がする。


つまり、
フィルムの絵は正確じゃないからこそ、
濡れた感じになり、
デジタルの絵は正確だからこそ、
無味乾燥な乾いた絵になるのだと、
今のところ考えている。



さあ、私たちの求める人間ドラマは、
乾いたものだろうか。
濃厚に濡れたものだろうか。

僕はフィルムで撮りたいな。
ドラマってのは、揺れが本質で、安定が本質じゃない。
役者の気持ちの揺れを、フィルムが増幅してたんだ。
posted by おおおかとしひこ at 12:50| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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