2017年12月11日

象徴は、一作品にいくつあるといいか

僕はひとつでいいと思う。


勿論、平凡な象徴表現ならそれは数に入れなくていい。
平凡ということはありふれているか、陳腐だったりする。
でも情報量の圧縮に効果的であれば、
それを使うことにやぶさかではない。

しかし、その作品オリジナルの、
独自の象徴表現は、
たくさんあるべきでないと僕は考える。

たったひとつだけ、
一枚絵になるべきだと思う。

それは、人は沢山の絵を覚えられないからで、
その作品といえばその絵、
になるのが理想だ。
これをイコンという。

絵になるのは、つまり、
具体物を使って撮っているからだ。

文脈なしではただの選択した服だけど、
これまでの全てのストーリーが詰まったラストシーンで服を畳むと、
それが象徴する意味が伝わってくる。
これは、「君が僕を見つけた日」(放題ださし)
の素晴らしいラストシーンである。

象徴とはつまり、カメラで撮れる具体物に、
意味をこめた瞬間である。


勿論のことながら、
この象徴表現は、
途中のどうでもいい場面に使ってしまうわけにはいかない。
重要場面のほうがいい。
そして、最善は、
テーマの確定するシーンだね。
(次善は、陥ったシチュエーション、
第一第二ターニングポイント、
ミッドポイント、クライマックス、
オープニング、カタリストなどだろう。
しかし前半で使ってしまうのはもったいない。
あとが全部それより表現に関して下がって行く。
後半で使うのが賢いだろう)

テーマが何かの具体物ビジュアルで象徴されるとき、
それをモチーフという。

つまり、映画とは、
モチーフによってテーマを象徴する文学である。


もちろんこうしていないものも沢山あるけど、
僕はこれを最上のものだと考えている。

どうしてビジュアルをイケてるものにするのか?
それは流行りに乗っかるということもあるけれど、
モチーフによってテーマをイコン化するためである。

なんか最近の映画は、
そういう風にきちんと作られていないものが増えたと思う。
じゃあ、そうやってちゃんと作れば、
名作の候補になれるということだ。


何が何の象徴になるかについては、
文化によって異なるデフォルト値がある。
日本人は豚で性欲を思い出さないが、
キリスト教では悪魔と豚は性欲でイコールに結ばれていたりする。
(精々罵り言葉でこの雌ブタは言うけど、
雄豚は出てこないな)
それを利用してもいいし、
独自のものを考えてもいい。

理想は、テーマに関する象徴は独自で、
その他の情報量の圧縮は、
文化に基づいた象徴表現でやると、
効率よく整えられると考える。


あなたの思いは、何に象徴される?
それをたったひとつのモチーフに出来るまで煮詰めよう。

たとえば、
「ゴースト/ニューヨークの幻」では10セント硬貨が、
「ラブ・アクチュアリー」では空港の出迎え口が、
愛の象徴として使われている。
そしてそれはテーマに直結する、イコンになるのだ。
posted by おおおかとしひこ at 13:07| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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