僕はひとつでいいと思う。
勿論、平凡な象徴表現ならそれは数に入れなくていい。
平凡ということはありふれているか、陳腐だったりする。
でも情報量の圧縮に効果的であれば、
それを使うことにやぶさかではない。
しかし、その作品オリジナルの、
独自の象徴表現は、
たくさんあるべきでないと僕は考える。
たったひとつだけ、
一枚絵になるべきだと思う。
それは、人は沢山の絵を覚えられないからで、
その作品といえばその絵、
になるのが理想だ。
これをイコンという。
絵になるのは、つまり、
具体物を使って撮っているからだ。
文脈なしではただの選択した服だけど、
これまでの全てのストーリーが詰まったラストシーンで服を畳むと、
それが象徴する意味が伝わってくる。
これは、「君が僕を見つけた日」(放題ださし)
の素晴らしいラストシーンである。
象徴とはつまり、カメラで撮れる具体物に、
意味をこめた瞬間である。
勿論のことながら、
この象徴表現は、
途中のどうでもいい場面に使ってしまうわけにはいかない。
重要場面のほうがいい。
そして、最善は、
テーマの確定するシーンだね。
(次善は、陥ったシチュエーション、
第一第二ターニングポイント、
ミッドポイント、クライマックス、
オープニング、カタリストなどだろう。
しかし前半で使ってしまうのはもったいない。
あとが全部それより表現に関して下がって行く。
後半で使うのが賢いだろう)
テーマが何かの具体物ビジュアルで象徴されるとき、
それをモチーフという。
つまり、映画とは、
モチーフによってテーマを象徴する文学である。
もちろんこうしていないものも沢山あるけど、
僕はこれを最上のものだと考えている。
どうしてビジュアルをイケてるものにするのか?
それは流行りに乗っかるということもあるけれど、
モチーフによってテーマをイコン化するためである。
なんか最近の映画は、
そういう風にきちんと作られていないものが増えたと思う。
じゃあ、そうやってちゃんと作れば、
名作の候補になれるということだ。
何が何の象徴になるかについては、
文化によって異なるデフォルト値がある。
日本人は豚で性欲を思い出さないが、
キリスト教では悪魔と豚は性欲でイコールに結ばれていたりする。
(精々罵り言葉でこの雌ブタは言うけど、
雄豚は出てこないな)
それを利用してもいいし、
独自のものを考えてもいい。
理想は、テーマに関する象徴は独自で、
その他の情報量の圧縮は、
文化に基づいた象徴表現でやると、
効率よく整えられると考える。
あなたの思いは、何に象徴される?
それをたったひとつのモチーフに出来るまで煮詰めよう。
たとえば、
「ゴースト/ニューヨークの幻」では10セント硬貨が、
「ラブ・アクチュアリー」では空港の出迎え口が、
愛の象徴として使われている。
そしてそれはテーマに直結する、イコンになるのだ。
2017年12月11日
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