決戦兵器、風林火山。
それに最後のピースがはまるとき。
麗羅は死ななければならなかったのか。
改変して、生きていればよかったのか。
兜丸は。
物語上、麗羅と兜丸は、どうしてもアディオスしなければならないのです。
成長とは、失うことでもあるからです。
青春物語は、成長の喜びとともに、
成長の痛みも描かなくてはならない。
怪我しないで成長する人間はいない。
心も体も。
小次郎にとって一番痛い事は何か。
姫子を失うこと。
そして親友を失うこと。
勿論、原作の退場と、ちゃんと合わせたいというのはありました。
だから黒獅子は死ななければならないし、
陽炎も妖水も、死ななければならなかった。
(多少原作とは違う死に方だったけど)
ずっと武蔵の出番がなかった。
いよいよ、ラスボスの武蔵に火が入るとき。
これから最強の壁が立ちはだかる、
その試練の大きさを示す。
麗羅と兜丸は、その犠牲者です。
原作ではかませにすぎなかったけど、ドラマではどうか。
単なるかませは一人もいないようにしたかった。
無駄遣いをしたくなかったのが僕の真意です。
(だから、麗羅の死は余計つらくなるんだけど)
忍びの闘いは、どこまでドライなのか、
原作では描かれていません。
死生観がちょっと不明なんだよね。
そこが隙間があって、魅力でもあるんだけど、
実写でそこまで曖昧にはできない。
あったことにはリアクションが必要だし、
そうでないことは、投げっぱなしになってしまう。
(御大は投げっぱなしも多いけど)
忍びにとって死とはなにか。
それが今回の裏のテーマ。
死ぬことは悲しい。
でもこの世に生を受けて、
何もできずに輝けないことのほうが悲しいではないか。
僕はそういう風に考えています。
麗羅と兜丸の死は、
小次郎に深く影を落とします。
何かを継いでゆくこと。風の中にいた記憶。
それが、風林火山を完成させることになる。
焼き芋シーンは今後語り継がれる名シーンでしょう。
ドラマならではのシーンで、
最高のものだと思います。
市野演出が冴えまくります。
告白後の混乱をネタにするとは思わなかったよ。
麗羅の描き方は、僕と市野さんではだいぶ異なります。
僕は「黒い面も青い面もある子供」
という描き方です。
二話の早くやっちゃおうよとか、九話の燃えちゃえとか、
その男は断らなかったんだとか。
市野回では、麗羅は白い面が多いですね。
いい子、みたいな感じ。
だからいい子か死んじゃうなんて、
という悲劇の王道に十一話はなっています。
僕ならそうしないだろうなあ。
オープニングでは、麗羅の黒い面も描いて、
死ぬときに白くするかなあ。
まあそれは好みかもしれません。
そうそう、
原作では、麗羅は一人称はオレなんだよね。
女みたいな顔をしてるから、
なめられてはいけないという、バンカラものに典型なキャラ。
リンかけでは河合武士が近いのかな。
女みたいな顔がコンプレックスになってて、
だから強いみたいな。
そういうキャラクターは時代に合わないと
御大も判断したのでしょうか。
聖闘士星矢では瞬はそういう要素は削られていますね。
という変遷を含んだうえで、
麗羅の一人称は僕にしました。いや、ボクかな。
大岡回ではボクで、
市野回ではぼくに、ニュアンスが近いのかもしれない。
パティシエ部というのは、
割と最初に決まっていたことです。
スイーツだから、「実写版の麗羅」にちょうどいい、
火も使うしと。
ここまでは僕が決めていたのですが、
「妨害に対して励ます」というのは、
市野さんのアイデアですね。
実写版の風魔は一貫して、最後のひと押しは自分でやらせる、
というサポートの仕方をしています。
あくまでサポートであり、主役は生徒たちであると。
そのスタンスは、麗羅でも生かされます。
(シンクロはどうなる。ギャグだからいいか)
全般的に、もっと「妨害とそれを返す攻防戦」をやりたかったですね。
それがちゃんと出来たのは、
一話の石礫合戦だけかもしれないですなあ。
もっと予算があれば……。
(演劇部とかやりたかった。
劇の進行をうまく止めないように闘う、というコントができそうだし)
広い絵は、観客やチームにエキストラ代がかかる。
それでいうと、将棋部やパチスエ部は、
予算にやさしいのです。
絵里奈が「冬を越せない」というのは、
なかなかの衝撃でした。
武蔵の動機に十分。
そこに、止まった時計を動かしはじめる、
原作のエピソードを絡めてきたのはとても好きです。
「止まった時計を動かす」のはユリゲラーの得意技で、
スプーン曲げとともに当時の超能力の象徴のひとつだったんだけど、
覚えている人はリアタイの人だけだろうねえ。
(スプーン曲げはまだよくあるのにね)
兜丸にスイーツ男子の属性をいれてきたのは、
なかなか面白いと思いました。
ずっと兜丸の立ち位置が分からなくて、
みんな考えていたからねえ。
原作の兜丸ビジュアルでスイーツ男子を見てみたい。
「やつらは必ずクリームブリュレを狙ってくる」
というのは、お前クリームブリュレ言いたいだけやろ、
と突っ込みたくなる、最高のボケ。
(以前にも書きましたが、
ここは絶対面白くなる言葉のほうがいいと思って、
「焼きプリン」にしてたんですよ。
それをさらにグレードアップしてくる市野演出の冴えよ)
ちなみに、壬生が離反して黄金剣をもって歩く林道と、
武蔵がやってくる林道と、
小次郎が墓を作った林道は、
全部同じロケ地です。
その先に、特撮でよく使われる、
林の中のちょっと広いところがあって、
ここで白羽陣もロケしたという。ザ・ロケ地の使い回し。
たしか武蔵戦は、
途中で雨が降ってきて、
中断という羽目になったと聞きます。
予算がないときに撮影日が一日増えるのは、
とても痛いこと。
中止なら日数はかからないけど、
撮影やって中断は、
全日分の金が出ていく。
つらい。つらすぎる。
天候判断はほんとに難しい。
さあ、あとは命を燃やすしかないところ。
兜丸の殺陣は面白かった。
枯葉を舞わせるのはウォンフェイフォンシリーズだな。
アクション監督新庄さんのこだわりですな。
木刀持ちながらの足払いは新鮮だったなあ。
あと好きなのは、兜丸が倒れてワイプになって、
麗羅にフォーカスするカットかな。
上手な演出だなあと思いました。
あとは「ああああああ」しか出てこないシーンばかり。
最高に命の燃焼を見た感じがします。
台詞が原作通り、「(飛龍のない)覇皇剣」なのもいいですね。
麗羅が喰らうアップカットで、
漫画的ベタフラッシュがわりにライトによるハレーション表現をしてるのもいいですよね。
麗羅の木刀逆手持ちは僕のアイデアです。
木刀の持ち方の話してたんだからノーマル持ちにして、
兜丸を逆手持ちにしたほうが面白かったかもしれない。
(同じことを思ったのか、舞台版では兜丸は棒術になってたし)
麗羅の死に際の言葉は、
すでにオーディションで見ていた台詞の、
ほぼ再現です。
ここはさすがに奇麗に決めたね。
「ぼくたちが闘うのは、勝ちたいから?」
というのが市野さんが付け加えた台詞で、
これがとてもいいと思います。
劉鵬回とともに、それぞれの忍び観が出て来るのが、
このドラマの面白いところですね。
小次郎の涙がいい。そのあとの決意の表情も。
得るだけがドラマじゃない。
失うこともドラマ。
麗羅の死は、小次郎に意味を与えます。
何も言わずに風林火山を振っているラストは、
僕じゃできないラストでとても好きです。
無言。それが男なり。
さて来週。前後編で決戦です。
もう突っ走るしかないよ!
予告は僕こだわりの陽炎。
予告は実はそれぞれのキャラクターの真意を語っていて、
本編を補完する意味があったりします。
なかなかいい予告編ばかりだと考えています。
こういうドラマをやって初めて知った業界用語ですが、
ラストの大立ち回りを、「ラス立ち」というんですって。
全てのアクションは、ここで最高にならなければならない。
それが歌舞伎以来の日本の伝統芸。
では次回。
2017年12月13日
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