2017年12月15日

中盤は、人物を深めよう

中盤の展開は、ストーリー作りの中でも特に難しいパートだ。
特になにを書くべきか決まっていないから、
道に迷うことは大変多い。

勿論事件解決の展開が背骨にはなるのだが、
それだけでは持たないものだ。
他に何で引きつけていくのか?

僕は、その人間の魅力ではないかと考える。


序盤は、各キャラクターの第一印象
(とのちに使う伏線)を描くだけで精一杯だ。
人物よりもストーリーのシチュエーションや、
焦点に引きつけるべきで、
だからこそツカミという考え方がある。

人が出てきただけでツカムのは相当難しい。
要するに一目惚れをさせよ、
ということだからだ。

たとえばダンスが上手いとか凄い強いとか、
人より抜きん出た何かを一発で示せればそれも可能だ。

しかし、実際に人を好きになるには、
一目惚れよりも、しばらく付き合っていく上で好きになることが多いように、
フィクションのストーリーの中でも、
一目惚れよりも、段階をかけて、
その人の魅力を描くほうがよい。


人間の魅力とは、
一言で表すのが難しい。
だからおもしろい。

最初はこういう人だと思っていたのだが、
深く話すと実はこういう人だと分かって、
複合的な魅力になっていったり
(いわゆるギャップだね)、
あるいはある部分には幻滅や失望を味わったり。
逆に失望から大逆転したり。
安定が魅力の人もいれば、
不安定が魅力の人もいる。

つまり、ストーリーというのもこれと同じだということ。


ただの「この人はこういう人」という紹介では、
その人に魅力を感じることはない。
実際の文脈で、
その人がどう言うか、
その人がどう行動するかで、
その人の魅力というのは出てくるものだ。

どうやったら魅力を作れるかは、
定式化された方法はない。
定式化されていたら、
それは決まった魅力しか生まないからである。

常に新しい魅力の人に出会いたい。
みんなそう思っているからだ。

だからステレオタイプとか、テンプレとか、
ちゃんちゃらおかしいのである。


ということで、
人物の魅力というのは、
中盤にこそ描かれる。

ある場面に対峙したとき、
そいつはどう行動するか。
それでその人の魅力を描いていくとよい。

言うだけじゃなくて実行する人なのだと分かると、
魅力が湧いてくる。

魅力さえあれば、
ぶっちゃけストーリーがちょっと退屈でも持ったりする。


で、
今のアホな映画では、
映画内の架空のキャラクターの魅力よりも、
芸能人の魅力で持っていたりする。
芸能人でなかったとしても、
魅力的なキャラクターを作るのが、
脚本家の仕事というものである。
極論すれば、
顔や声やファッションなど、
見た目に依存しない魅力を作らなければならない、
ということである。


面白いのは、
完成した、完璧な人だけが人の魅力ではないところ。
未熟や未達成もまた、人の魅力だ。
ドラマ風魔で言えば、
完璧な武蔵よりも、
壬生や麗羅のほうが面白い人物に仕上がっている。

人を惹きつけるのは、完璧さとは限らない良い証拠だ。
僕はベルセルクに出てくる髑髏の騎士の、
「もがく者よ」というセリフが大好きで、
人はもがく時に魅力的になるんじゃないかと思っている。

テンパったときに、
その人の本性が出る。
それを前に踏ん張るのか、逃げてしまうのか。


その人の人間関係。
その人の裏の面。
その人の過去。
その人の意外な得意技。
その人が本当に考えていること。

そういうのを知っていくと、
その人が好きになるよね。


中盤何をしていいか分からなくなったら、
メインストーリーを進ませながらも、
こういうことに含みを持たせていくと、
深みのある物語が書けるのではないかな。

どういうときにどういうことをするのか。
どういうときにどういうことをしてきたのか。
それが人間だ。
posted by おおおかとしひこ at 20:34| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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