カタナ式のカナ配列版「薙刀式」(開発中)では、
清濁同置の方針を立てている。
なんでかというと、連濁を意識したから、
という話。
多くの効率の良い新配列では、
清濁分置が半ば常識だ。
「が」と「か」は役割も連接も違うから、
「か」に濁点を打つのではなく、
別々の音として扱おうとする考えだ。
そのほうが、それぞれの音に効率の良い、
位置や他の音との連接の関係を作れる、
という合理性はよくわかる。
しかし当然のことながら、
20個の濁音、5個の半濁音が増えるので、
キーの数は増える。
キー数が増えるということは、
記憶負担が増え、打鍵範囲が増えてしまうという、
一次的な被害に加え、
各音の連接の組み合わせが指数的に増えるという、
二次的な、そしてこっちのほうが致命的だと僕が思う、
被害を抱えている。
そんなの覚えてしまえば慣れるさ、
という楽観的な見方もあるけど、
僕はそこには悲観的だ。
自分でできる気がしない、
という単純な理由からである。
飛鳥は結局使いこなせる気がしなかった。
新下駄は見ただけで恐れをなした。
勿論使いこなせて効率の良い打鍵をしている人は沢山いるんだろうけど、
それは選ばれし人でしかないと思う。
ここは主観的な話だ。
僕が特別不器用かもしれない。
新下駄でなく下駄をマスターしてみたのも、
清濁同値だったからかも知れないくらいだ。
なので、
薙刀式は清濁同置で、
かつ下駄配列同様、濁音シフト同時押しを採用した。
「シフト文字とアンシフト文字で、
濁音になる音はひとつしかない」
から、濁音シフトしたときは一意に決まる、
というアイデアがすごくスマートに見えて、
なんだか気に入っていたからだ。
同様に清濁同置を選んだものに、
親指シフト(ニコラ配列)があるが、
僕はこれに馴染めなかった。
左親指と右親指の使い分けに馴染めなかったのだ。
同手シフトと逆手シフトがどうやっても混同した。
ミラー現象として知られる、
左右を逆に押してしまう現象だ。
普通は中指とか薬指あたりに出るんだろうが、
僕は親指で出た。
(飛鳥でも高速にしようとすると、
左親指と右親指を間違えていた)
人はプレッシャーがかかると、
左右を間違うことがある。
入場行進で右手右足同時に出すのもそうだし、
幼少期の鏡文字現象はそうだし、
左右の利き手矯正もそうだし、
以前知らない道を走らせたタクシーの運転手は、
「右に曲がります」と言いながら左なハンドル切りやがった。
殺す気か。
勿論、無意識下に叩き込む自動化をする、
つまり、「慣れれば」、
問題なくなるのかも知れない。
でも慣れるまでに時間がかかるのは、
僕にはどうにも苦手だ。
僕は吃音でも鏡文字でもなかったけど、
失語症になるプレッシャーには耐えられない。
東京に来た時に、関西弁から東京弁に矯正するのが嫌で、
一年間は関西弁で通した。
生意気だ、直せと言われたが、
間違っていないものを「直す、正す」という意味を、
僕は未だに納得していない。
(ちなみに2年もすれば、外国語みたいに出来るようになった、
人間の適応力たるや)
デジタルの入力方法は、
僕にとって東京弁の強制のように辛いものである。
だから僕は、試行錯誤による腱鞘炎が、
不自然な入力方法より耐えられるのかも知れない。
話が長くなった。
薙刀式は清濁同置だ。
それは記憶負担を減らして、
組み合わせの指数関数的増加を指数オーダーで減らすため、
という合理的な理由と、
もうひとつ、
「日本語の自然な現象」を利用している。
連濁という現象だ。
「時」をふたつ重ねると「ときどき」と、
濁音化する現象のことだ。
濁音は、「全く別の音」ではない、
清音に貼り付いた音でもあるということ。
連濁を打つときは、
「とき」と同じ運指をし、
「と」の所で濁音シフトを同時押しするだけで良い。
「とき」と「どき」で異なる運指をする必要はない、
ということにした。
連濁でなくとも、
「はし」と「しんばし」で運指が異なるのはやっぱり変だ。
効率だけを考えれば、
それ以外の頻出連接にいい運指を与えたほうがいいのかもだけど、
効率だけが言葉じゃないと僕は考えている。
「自分の中の自然な言葉が、
自然な運指に一対一対応すること」
を重視している。
勿論、有限個のキーで有限個のカナだから、
あちらを立てればこちらが立たず、
になるのはよく分かっている。
だとすると何を大事にするかということになり、
僕は、「連濁を打つときに、運指が繰り返しにならないのはおかしい」
と思った、と言うべきかもしれない。
「が」「で」「ど」「だ」「じ」
あたりが特に重要な濁音だろうか、
これらは清音でも結局いい位置にいるし、
濁音を重視するあまり清音が不自由になった、
ということもなかったので、今のところ満足。
(それより拗音シフトがすごい苦労した)
更に当然のことながら、
人によって何が自然かは異なる。
少なくとも僕にとっての自然を突き詰めて、
それをベースにいろんな言葉に対応させていきたい。
今のところ2バージョン完成形があり、
どっちか迷っているところ。
しばらく評価打鍵タイムなので、お待ちください。
(そもそもカナ配列をそこまで速く打てないので、
これが本当に指が喋る速度で打てるのか、
不明なところがあるけど)
昔のqwertyローマ字くらいになったら公開かな。
2017年12月22日
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