2017年12月27日

【光魔のピカ太郎さんへの回答箱】ご都合主義は、一回まで

>「君の名は。」に対する批判の中に 「なぜ二人が入れ替わったのか理由づけがない」 「体が入れ替わったら真っ先に、 今自分がどこにいて西暦はいつかを調べるはず」 「たそかれ時に出会った二人、危機的状況であるにもかかわらず イチャつくのはおかしい」 「お互いの連絡先くらいノートに書いとけ」 みたいなことを御都合主義だと批判する意見が見られます。 これとか。 http://blog.goo.ne.jp/nobubu_001/e/3e13b1d90001c5e42adf549bc07d7bca 確かにそうだとも言えるし、 でも別にそんな気にする必要もなかろうとも言えるような… なんてことを考えていたら何だかよく分からなくなってきました。 御都合主義とは?それはどこまで許されるのか?

原則はひとつです。
「嘘は、いっこまで」


「君の名は」の場合、
「男女が入れ替わる」のが、
大きなひとつの嘘です。

これを認めれば、
「何故それが起こったか」は、
説明の必要はとくにありません。
ほんとは気にはなるんだけど、
まあそれがあってから、どうなるかがストーリーだからな、
と、殆どの人は認めます。

これには更に原則があって、
「殆ど最初にある、大きな嘘」
だけがその候補です。

序盤を過ぎてから説明なしにそれを入れると、
「聞いてないし」「無理がある」となり、
それらはご都合主義指摘の対象です。

たとえば、
「カムイ伝」で、
カムイと紹介された男が急に爆死して、
これからこの弟をカムイと呼ぶことにする、
と、無理矢理話を続けるところがあります。
無茶苦茶なご都合主義の例です。

ご都合主義とは、
作者の都合で、その話が本来持っているであろう、
リアリティのポテンシャルを逸脱することです。

その話が本来持っているリアリティは、
最初に「こういう世界だから」と説明されれば問題ありません。
カムイ伝も、
「死んだものの名を継ぐのが忍び」
と設定が最初にあれば、
まさかの主人公爆死交代を、
そういうものだと受け入れられたでしょう。

で、
最初に説明する「そういうもの」は、
ひとつであるべき、
というのが原則です。
何故なら、二つ以上は複雑で、人は覚えられないからです。

「君の名は」の、
そのような嘘は、実は複数あります。
「彗星が来る」と、
「入れ替わる」です。

もしこの作品が、
ハレー彗星が来ている時に公開されれば、
「彗星が来る」は嘘にカウントされなかったかもです。
シューメーカーレビー彗星は、
ハレー彗星ほどメジャーな事件ではなかったし、
そういう意味で「彗星が落ちるかも」は、
物語の前提、
「そういう世界」という設定です。
メテオやアルマゲドンをはじめ、
彗星隕石もの、というジャンルなわけですな。

そこに、もうひとつSF、
つまり「入れ替わる」を入れてしまったのが、
混乱の元になっています。

彗星の世界だと認めたうえに、
入れ替わりものも認めなきゃいけない、
一体どっちの話だよ?
となるからです。

もし入れ替わり単独であれば、
「そういうもの」としてみてられます。
名作「転校生」は、それありきです。

そうすると、何もなくて入れ替わるのは変だと自覚できるので、
「神社の階段を転がる」というのをキッカケにしています。
そういうものだと最初に説明されるので、
「何故神社の階段で二人で転がったら入れ替わるのか」
と私たちが疑問に思うことはありません。
「科学的にはありえないだろうが、
まあそういうことがあったとして、
この話を楽しもう」
と思ってくれるからです。

これはSFだろうがファンタジーだろうが、
リアル系だろうが同じで、
「最初にこれはこういうものだ」
という嘘をひとつだけつくことで、
フィクションの世界を作るわけです。


で、「君の名は」ですが、
二つあるから、
そのリアリティを埋めようとして、
観客は混乱するのです。
なんで入れ替わったのか?とか、
そういうのを疑問に思うのは、
「彗星が落ちるかも」の嘘をフィクションの設定と理解したからで、
もう一つの「入れ替わり」を、嘘だと認定出来なかったからです。
「彗星を嘘と認めたんだから、
入れ替わりは嘘じゃなくてリアルにしてよ」
となったのです。

本編はどうでしたでしょう。
彗星が先ですね。

だから、彗星はフィクションの為の嘘、
と認定されたというわけ。

もしこれが、
入れ替わったあとに彗星の紹介をしていれば、
彗星のリアリティが気になったでしょう。
何年にどこに落ちると予測されるのか?
とかね。
この時点で落下時刻への推定が起こるので、
ネタバレのアレが機能しなくなるのかも知れず、
だから彗星の方を先に持ってきた、
という無意識が、脚本家の頭の中にありそうです。



さて。

質問に答えるなら、
嘘=フィクションの設定=ご都合主義は、
「最初にひとつ」だけです。

それ以降の、その世界のリアリティを崩すものは、
全部ダメなご都合です。




以下ネタバレ。







そもそも入れ替わりにおいて、
時間軸がずれていた、
というのは秀逸なアイデアですが、
タイムパラドクスを包含する危険が出てきます。

「彗星が落ちるかも」
「入れ替わる」
「タイムパラドクス」
という三つの嘘を提示されてしまうからです。
これは意図的かもしれず、
「そのような混乱した中だろうが、
思うことはただひとつ、
君に会いたい」
ということが強くなっているからです。

で、三つの嘘で混乱させるので、
私たちは麻痺してしまい、
なんだかよくわからんが、
強い想いに同調していれば心地よい、
と、頭がバカになっていくわけ。

バカにならずに、
世界のリアリティを構築すればするほど、
この混乱はおさまりません。
色々と矛盾してるし。
(そもそもタイムパラドクスは矛盾だし)
その混乱の糸をほぐそうとして、
そのようなディテールから、
無矛盾な説明を構築しようとするが、
できない、
というのが、
主な批判の内容です。

ということで、
複数の嘘をつくと、こうなりますよ。
posted by おおおかとしひこ at 15:36| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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