2017年12月30日

新しいイコン

さらにこの話はつづく。
結局、定番の組み合わせができてしまっている。

新しい話とは、
実はプロットが新しいのではなく、
象徴(と絵とタイトル)が、
新しいものであることが多い。


それは、
結局絵で記憶されるからじゃないかと、
僕は考えている。

たとえば風魔の6話、
シンクロプールの下で戦う、
というのは見たことのない絵だったが、
意味合いで言えば、
「表で試合、裏で死合い」
というコンセプトでしかなく、
これ自体は新しくもなんともない。
しかしそれをシンクロプールに持ってきたところが、
新しい衝撃であった、
というところだね。

杖に落書きする、
という以前にあげた例では、
それ自体は「ギプスにエールを落書きする」
ということと意味は変わらないが、
あんまり見たことない絵だから、
面白くなり、
新しく見えているわけだ。


つまり、
脚本では絵なんていらないんだ、
絵に惑わされて話を見失うな、
とずっと僕は言ってきてはいるのだが、
それが出来て初めて、
それを絵に定着させるアイデアを練れ、
という真逆のことを言おうとしている。

それくらい、絵の呪縛は強い。
まず絵の呪縛から離れて話を考えて、
そののちに、
それを一つの絵の中に閉じ込めるようにせよ、
ということだ。
呪術師のようになってきたね。

で、その時、
よくある絵にするんじゃなくて、
新しい絵にしたほうが、いいぜ、
ということ。

定番からずらしたアレンジでもいいし、
全く新しいのでもいい。
新しい絵をつくろう。


問題は、絵だけあって話がない場合で、
それは初心者がよく落ち込む間違った状態だ。

上級者は、
どんな絵でも成立する話をまず考えて、
それを新しい絵に結晶させるのだ。

だから強い絵と強い話が同時にできる。
絵ありきでやっていては出来ないことだ。
posted by おおおかとしひこ at 14:25| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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