さらにこの話はつづく。
結局、定番の組み合わせができてしまっている。
新しい話とは、
実はプロットが新しいのではなく、
象徴(と絵とタイトル)が、
新しいものであることが多い。
それは、
結局絵で記憶されるからじゃないかと、
僕は考えている。
たとえば風魔の6話、
シンクロプールの下で戦う、
というのは見たことのない絵だったが、
意味合いで言えば、
「表で試合、裏で死合い」
というコンセプトでしかなく、
これ自体は新しくもなんともない。
しかしそれをシンクロプールに持ってきたところが、
新しい衝撃であった、
というところだね。
杖に落書きする、
という以前にあげた例では、
それ自体は「ギプスにエールを落書きする」
ということと意味は変わらないが、
あんまり見たことない絵だから、
面白くなり、
新しく見えているわけだ。
つまり、
脚本では絵なんていらないんだ、
絵に惑わされて話を見失うな、
とずっと僕は言ってきてはいるのだが、
それが出来て初めて、
それを絵に定着させるアイデアを練れ、
という真逆のことを言おうとしている。
それくらい、絵の呪縛は強い。
まず絵の呪縛から離れて話を考えて、
そののちに、
それを一つの絵の中に閉じ込めるようにせよ、
ということだ。
呪術師のようになってきたね。
で、その時、
よくある絵にするんじゃなくて、
新しい絵にしたほうが、いいぜ、
ということ。
定番からずらしたアレンジでもいいし、
全く新しいのでもいい。
新しい絵をつくろう。
問題は、絵だけあって話がない場合で、
それは初心者がよく落ち込む間違った状態だ。
上級者は、
どんな絵でも成立する話をまず考えて、
それを新しい絵に結晶させるのだ。
だから強い絵と強い話が同時にできる。
絵ありきでやっていては出来ないことだ。
2017年12月30日
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