2017年12月31日

後付けはばれる

お前、最初にそんなこと言うてなかったやんけ。
突然の後付けにはそういう感想が付いて回る。
つまり、後付けするならば、
「最初に」しなければならない。


そもそも後付けするときはどういう時かというと、
困ったなあ、思いついた、あれをこうだと変えてしまおう、
という心理が働いている。
「変えてしまおう」だ。
それがばれて、
「変えてきたんかい!」
と突っ込まれる、
ということだ。

これは観客への裏切りである。
いい意味の裏切りではなく、
悪い意味でのだ。

なぜなら、
「最初にこうだとしておきます」
ということを、
「やっぱ変えます」にすることだからだ。
一回嘘をついたら、
次も嘘をつかれるのではないかと、
びくびくしてしまうように、
一回変更かましたら、
次も変更あるかもと、
信用されなくなる。

つまり、
「この人の言っていることは、
最初から最後まで一貫している」
という信頼がなくなってしまう。
だから、「もう真剣に見なくていいや」
と諦められてしまうのだ。

後付けには、
そのような、信頼感を台無しにする、
ものすごい大きなリスクがある。
「ちょっと変えただけ」では済まされない、
大きな数がつくことを、
覚悟しておくことだ。

とはいえ、
現状ではにっちもさっちもいかなくて、
後付けのなにかを足すことで話が動き出すなら、
それはそれでよい。
だから、
「最初にその後付けぶんを、
設定し直すように序盤をリライトする」
をお勧めする。
最初に言えや、を実現しておくとよい。

そして、実はここからが本題なのだが、
その後付け設定Aを最初から前提にすると、
「どうせAになるんだろ?」
と、完全ネタバレから始めなければならない、
ということに、
あなた自身が気付けるかどうかで、
リライトの質が変わってくるということ。、

やり方はみっつある。

Aがネタバレだとしても、Aを再利用する
(つまり後付けしたパート)が面白くなるように、
そこまでを全面的に書き直す。

Aがネタバレにならない、A'みたいな微妙設定から始めておく。

Aのネタバレを見ないふりをして書いていく。

当然のことながら、
上から順に面白い、
ということになる。


後付け設定を足していくことは、
ネタの継ぎ足しだ。
そのネタが馴染む程度には同一性を確保出来るが、
ネタを継ぎ足した瞬間別物になってしまうのなら、
それは間違ったネタ足しである。
(当然のことながら、
これはどんでん返しと表裏一体だ)

どう自然にネタを継ぎ、
かつ目の前のストーリーを転がしていくか、
近視眼と全体観の、二つを同時に必要とする。


その後付けは、
全体を台無しにするかもよ。
じゃあ、全体ってなんだろう。
あなたが見えていない全体こそが、
実は問題だといえる。
posted by おおおかとしひこ at 10:03| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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