お前、最初にそんなこと言うてなかったやんけ。
突然の後付けにはそういう感想が付いて回る。
つまり、後付けするならば、
「最初に」しなければならない。
そもそも後付けするときはどういう時かというと、
困ったなあ、思いついた、あれをこうだと変えてしまおう、
という心理が働いている。
「変えてしまおう」だ。
それがばれて、
「変えてきたんかい!」
と突っ込まれる、
ということだ。
これは観客への裏切りである。
いい意味の裏切りではなく、
悪い意味でのだ。
なぜなら、
「最初にこうだとしておきます」
ということを、
「やっぱ変えます」にすることだからだ。
一回嘘をついたら、
次も嘘をつかれるのではないかと、
びくびくしてしまうように、
一回変更かましたら、
次も変更あるかもと、
信用されなくなる。
つまり、
「この人の言っていることは、
最初から最後まで一貫している」
という信頼がなくなってしまう。
だから、「もう真剣に見なくていいや」
と諦められてしまうのだ。
後付けには、
そのような、信頼感を台無しにする、
ものすごい大きなリスクがある。
「ちょっと変えただけ」では済まされない、
大きな数がつくことを、
覚悟しておくことだ。
とはいえ、
現状ではにっちもさっちもいかなくて、
後付けのなにかを足すことで話が動き出すなら、
それはそれでよい。
だから、
「最初にその後付けぶんを、
設定し直すように序盤をリライトする」
をお勧めする。
最初に言えや、を実現しておくとよい。
そして、実はここからが本題なのだが、
その後付け設定Aを最初から前提にすると、
「どうせAになるんだろ?」
と、完全ネタバレから始めなければならない、
ということに、
あなた自身が気付けるかどうかで、
リライトの質が変わってくるということ。、
やり方はみっつある。
Aがネタバレだとしても、Aを再利用する
(つまり後付けしたパート)が面白くなるように、
そこまでを全面的に書き直す。
Aがネタバレにならない、A'みたいな微妙設定から始めておく。
Aのネタバレを見ないふりをして書いていく。
当然のことながら、
上から順に面白い、
ということになる。
後付け設定を足していくことは、
ネタの継ぎ足しだ。
そのネタが馴染む程度には同一性を確保出来るが、
ネタを継ぎ足した瞬間別物になってしまうのなら、
それは間違ったネタ足しである。
(当然のことながら、
これはどんでん返しと表裏一体だ)
どう自然にネタを継ぎ、
かつ目の前のストーリーを転がしていくか、
近視眼と全体観の、二つを同時に必要とする。
その後付けは、
全体を台無しにするかもよ。
じゃあ、全体ってなんだろう。
あなたが見えていない全体こそが、
実は問題だといえる。
2017年12月31日
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