脚本論ではないけれど、
映画における絵作りの話。
左右には非対称性がある。
洋の東西を問わず、
希望を感じる表情をするとき、
客から見て、左上を見る。
選挙ポスターのアングルだ。
そして光は大抵左上から来ている。
順光であり、逆光になることはない。
つまり、午後であれば概ね南をむけば、
希望の方向になり、
午前であれば概ね東南をむけば、
希望の方向になるということだ。
まさか東西南北と希望の方向が?
地軸が反時計回転していて、
かつ地軸の傾きのために四季のある、
地球の北半球の先進国で生まれた文化には、
このような共通性がある。
南半球の絵画や映画はあまり日本に入って来ないから、
この生理が逆の可能性は十分にある。
さらには別の地軸回転傾きの惑星
(たとえば天王星は地軸が太陽方向を向いている)で発達した文化は、
また別の生理を持つかも知れない。
希望の光は左上から来る。
大抵の絵画は、そのように描く。
右手で描くことも大きいかも。
左上が遠くで、右下が近く。
左上から光が来て、右下に影ができる。
これが絵画のデフォルトだ。
右上から光が来て左下に落とすものは、
圧倒的に少ない。
順光に比べて逆光や半逆、
間接光の絵画もだ。
(逆光は、ドラマティックな狙いの、
デジタル絵画で増えた気がする。新海誠がその端緒か)
だから、普通左を向く人が右を向く時は、
暗く、反省したり、過去やネガティブを感じさせるときである。
これはハリウッドでも60年代くらいから意識されていて、
「ハリウッドアングル」と呼ばれる、
女優を左上から光が来る順光で撮り、
画面左を向かせる、
という黄金アングルが生まれた。
(モノクロ時代やカラーの初期はよく紗をかけたものだ)
右向きにするよりも安心する、という経験則だった。
漫画もこの影響下にある。
実際右手で描くことが多いから、
左向きの顔はかけるけど逆が描けないという人も多い。
前のカタナ式記事で、
高く明るい音が左上にあるほうがいいと、
無意識に思っていたのは、
どうやらこの意識と繋がっているようだ。
一方、日本には上手(かみて)と下手(しもて)
の歌舞伎文化がある。
カミは客から見て右側、シモは左側のこと。
カミ(立場が上)にいる支配者を、
シモ(立場が下)から来た若者が倒し、
カミに立ち最後に希望の方向を向くのが、
伝統的な物語の段取りである。
つまり、シモ(右を向く)からカミ(左を向く)への移動、
変化、下克上、成長こそが物語だということだ。
逆に転落の物語であれば、
カミからシモへ行く話にすればよい。
可愛い子が吉原落ちするバッドエンドは、
おそらくこう書ける。
物語は、左から来た者が、右に座ることをいう。
ほんとうかな。
でも古今東西、大体そうなってるんだよね。
南半球や宇宙人は寡聞にして知らない。
久しぶりにコンテをちゃんと描いていて、
無意識にそうしていて、ちょっとびっくりした次第。
最近の演出があまりにもリアル志向で、
こういう伝統的な作法を守らないから、
整理されていない、落ち着かない、
ただ拾ってきただけの、
とっちらかった印象になるのかも知れないね。
映画は本来絵画だと僕は思う。
リアル志向演出やライブ感は、未整理の言い訳だ。
物語とは、混沌たる現実世界を、ある考え方で整理することだ。
そもそも「何かをいう」ことがそもそもそうだ。
そのときに、左右がものを言うことは、
知っておいて損はない。
これが3Dになって、新しい整理が生まれると期待したのだが、
結局そうはならなかった。
人はあくまでも、イマジナリーラインの向こう側のことしか、
整理できないのかも知れない。
じゃあ逆に、3DやVRは、整理されていない混沌を体験させればいいわけだ。
それは物事の切り分けという「作品」では、
原理的になくなるということだね。
2018年01月03日
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