2018年01月04日

物語を書く時に、誰もが体験すること

ストーリーを書く時に、
誰もが体験するだろうことを集めてみた。

大事なことは、
「それが駄作だろうが名作であろうが、
同じことを体験する」ということで、
その体験が特別素晴らしかったといって、
名作かどうかは関係ないということだ。



没入感。まるで自分のことのように、感情を共有する。
一度死んで、まるで自分が生まれ変わったかのように感じる。
キャラクターが勝手に動き出して、自分の想像を超えたストーリーに転がっていく。
自分がこれを書いたことで、すごく成長した感じがする。
あのヒラメキはよかった。
あのどんでん返しは秀逸。
感動して達成感で満たされる。
自分の無意識から、何かが生れた感じになった。今なら巫女の気分が分かる。
何かに似ているかも知れないが、これは何にも似ていない、オリジナルだ。
ほかの誰かがやっていることが、手に取るように理解できる。
まるで自我が分裂して、再統合された感じだ。
筆がどんどん進むとき、天才ではないかと感じる。
まるで何かに書かされているような気分になり、これは運命とか、神の使命ではないかと感じる。
キャラクターにほれ込んでしまう。
集中しているとき、その世界に入り込んで周りが見えなくなる。
この主人公は、まるでもう一人の私だ。
あるいは、他のキャラクターの中にも、少しずつ私がいる。
トンネルから抜け出したときの快感は、人生の他の喜びよりも大きい。
好きなキャラクターのことなら、ずっと語れる。
あのシチュエーションはやばいくらいよかった。
なにをどうすればどうなるか、隅々まで把握しているし、想像できる。
今まで見たどんなものよりも、リアルで、しかもファンタジックだ。
自分は歴史に残る仕事をしたかもしれない。
俺はうまい。
俺はだめかもしれない。
すごいイメージが湧いてくる。髪の毛一本まで想像できる。



さて。
気を付けて欲しいのは、
これが、名作だろうと珍作だろうと、
同様にこの感覚はやってくることだ。

この羅列だけ見ているとまるでヤク中である。
ただ気持ちが乱高下しているだけである。
恋にも似ているかもしれない。
脳内麻薬の分泌がだだもれするから、こういう感じになるのだ。

勿論、この快感こそが、
物語を書く醍醐味ではあるのだが。



しかし、この快感と、
ストーリーの出来は、
一切比例しない、
ということを知っておこう。
あなたがどれだけ盛り上がったかは、
ストーリーがどれだけ盛り上がるかとは、
一切関係がない。
(多少はあるだろうが、ないと割り切ったほうが、
客観的になれる)
恋と、これまた似ているかもしれない。


あなたは、
とても崇高で、使命感があり、
ものすごいテンションで、
快感と絶望を感じながら、
生まれ変わって、
ひとつの物語をものにしたかもしれない。

しかしその気持ちと、
出来は比例しない。

冷静になることだ。


お母さんや恋人ならば、
よくやったね、とほめてくれるだろう。
結果よりプロセス重視ならそうもなるかもだ。

しかし冷静になれ。
あなたの気持ちと裏腹に、
出来上がったそれはゴミかもしれない。



気を付けることは、
それが名作でも同じようになることだ。

だから名作かもしれない、と思うのは浅はかである。
だから気持ちと切り離さなければ、と考えるべきだ。
posted by おおおかとしひこ at 17:42| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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