ストーリーを書く時に、
誰もが体験するだろうことを集めてみた。
大事なことは、
「それが駄作だろうが名作であろうが、
同じことを体験する」ということで、
その体験が特別素晴らしかったといって、
名作かどうかは関係ないということだ。
没入感。まるで自分のことのように、感情を共有する。
一度死んで、まるで自分が生まれ変わったかのように感じる。
キャラクターが勝手に動き出して、自分の想像を超えたストーリーに転がっていく。
自分がこれを書いたことで、すごく成長した感じがする。
あのヒラメキはよかった。
あのどんでん返しは秀逸。
感動して達成感で満たされる。
自分の無意識から、何かが生れた感じになった。今なら巫女の気分が分かる。
何かに似ているかも知れないが、これは何にも似ていない、オリジナルだ。
ほかの誰かがやっていることが、手に取るように理解できる。
まるで自我が分裂して、再統合された感じだ。
筆がどんどん進むとき、天才ではないかと感じる。
まるで何かに書かされているような気分になり、これは運命とか、神の使命ではないかと感じる。
キャラクターにほれ込んでしまう。
集中しているとき、その世界に入り込んで周りが見えなくなる。
この主人公は、まるでもう一人の私だ。
あるいは、他のキャラクターの中にも、少しずつ私がいる。
トンネルから抜け出したときの快感は、人生の他の喜びよりも大きい。
好きなキャラクターのことなら、ずっと語れる。
あのシチュエーションはやばいくらいよかった。
なにをどうすればどうなるか、隅々まで把握しているし、想像できる。
今まで見たどんなものよりも、リアルで、しかもファンタジックだ。
自分は歴史に残る仕事をしたかもしれない。
俺はうまい。
俺はだめかもしれない。
すごいイメージが湧いてくる。髪の毛一本まで想像できる。
さて。
気を付けて欲しいのは、
これが、名作だろうと珍作だろうと、
同様にこの感覚はやってくることだ。
この羅列だけ見ているとまるでヤク中である。
ただ気持ちが乱高下しているだけである。
恋にも似ているかもしれない。
脳内麻薬の分泌がだだもれするから、こういう感じになるのだ。
勿論、この快感こそが、
物語を書く醍醐味ではあるのだが。
しかし、この快感と、
ストーリーの出来は、
一切比例しない、
ということを知っておこう。
あなたがどれだけ盛り上がったかは、
ストーリーがどれだけ盛り上がるかとは、
一切関係がない。
(多少はあるだろうが、ないと割り切ったほうが、
客観的になれる)
恋と、これまた似ているかもしれない。
あなたは、
とても崇高で、使命感があり、
ものすごいテンションで、
快感と絶望を感じながら、
生まれ変わって、
ひとつの物語をものにしたかもしれない。
しかしその気持ちと、
出来は比例しない。
冷静になることだ。
お母さんや恋人ならば、
よくやったね、とほめてくれるだろう。
結果よりプロセス重視ならそうもなるかもだ。
しかし冷静になれ。
あなたの気持ちと裏腹に、
出来上がったそれはゴミかもしれない。
気を付けることは、
それが名作でも同じようになることだ。
だから名作かもしれない、と思うのは浅はかである。
だから気持ちと切り離さなければ、と考えるべきだ。
2018年01月04日
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