2018年01月07日

書きたいシーンが浮かんだとき

ビジュアルでも台詞でもアクションでもシチュエーションでもいい。
とにかくメモしよう。

次にすることは、
「なぜそうなったか?」を考えることだ。


ストーリーというのは、
点ではなく線である。

シーンだけ、台詞だけ、ビジュアルだけ、
シチュエーションだけは、
点であり線ではないから、
ストーリーではない。
だからそれを線にするのだ。

簡単なことだ。

「なぜそうなったか」、
その前を考えればいい。
なぜそのシチュエーションになったのか、
なぜその台詞を言ったのか、
なぜそのアクションや行動をするのか、
なぜそんなビジュアルになったのか。

線とは、因果関係のことだ。
ある点がどうやって出てきたのか、
その前があり、
それがあるからその点がある、
という因果関係があり、
それがストーリーの種になるのである。

これが下手な人は、
「無理がある」ものしか作れない。

そのシチュエーションになるには無理がある。
そういうことをそこで言うのは無理がある。
そのアクションをするのは無理がある。
そのビジュアルをするのは無理がある。

逆に上手な人は、
自然にそのシチュエーションになってゆく。
自然にその言葉が心から出てくる。
自然にそうしてしまう。
自然と、当然のように、そのビジュアルに落ち着く。

たったこれだけの違いなのだ。
そしてそれが自然であればあるほど、
次にどうなるかも自然に判る。
私たちの住んでいる世界と大体同じだからだ。

その自然な線を、流れという。


つまり、ストーリーを作ることが下手な人は、
流れを自然に出来ない。
無理がある流れだったり、
唐突に流れが変わったり、
それが途切れたりする。
おそらくは、その場の思いつきで接続するからだ。

そうではない。
ストーリーとは一続きの流れである。
勿論結節点、ターニングポイントがあり、
一本道ではなく、
ジェットコースターのように起伏がある。

しかしそれらは、「全て繋がっている」
のような構造をしてるはずだ。


まだすべてを思いついていないとき、
新たなアイデアがやってきて、
空白が埋まることがある。
しかし、下手な人は、
「それがそうなるには無理がある」ようにしてしまい、
上手な人は、
「それがまるで最初から計画されていたかのように、
自然にそうなる」ようにする。

高速道路に合流するのに、
ぶつかりながら合流するのか、
自然にすっと入るのかの違いだね。

その滑らかさとは、
「なぜそうなったか」が、
自然に無理がないようになっている、
ということだ。


その接続には無理があるとき、
二種類のやり方がある。
1. 無理がない程度に、その思いつきを変形、アレンジする
2. うまく接続できる第三の何かをつくる

思いつきをA、それまでの流れをBとすれば、
B→Aに無理があるとき、
B→A'のようにAをうまいこと変形するか、
B→C→Aのように中間補助線Cをつくるか、
の二択だということ。

勿論、B→C、C→Aの線が、
新たに無理があるようなら、
同様に自然になるように繰り返すと良い。


こういうのが下手な人は、
「人の言うことを聞かずに突っ走るキャラ」
「空気読まないキャラ」
「勝手なキャラ」
「狂ってるキャラ」
などに無理な部分を担当させて、
強引に展開する逃げを打つことが多い。

キャラが勝手に動き出す、
なんてのは殆どは嘘で、
あなたの無意識の思いつきを、
キャラが先回りしてるだけのことである。


その思いつきは、天からの授かりものである。
まだ思いつきに過ぎないが、
革命を起こせるアイデアかも知れないし、
雑魚の戯言かも知れない。
全ては、無理のない展開に出来た時に、
その破壊力を測定できるだろう。

そして、アイデアを思いつくのは誰でもできる。
それを上手に無理なく繋いでいくのが、
私たちの技術と経験だ。

手慣れてくると、
「ここにこういう感じのアイデアがあれば、
うまく接続できるのに」
と、神様にそのアイデアの具体的にはまる場所を指定し、
その空白について延々と考える、
みたいなことができるようになる。

それは、「接続慣れ」みたいなことだね。


まあ、まずはメモを取るのだ。
一行目に見出しになるような走り書きを、
一枚全部にその詳細を。
別の紙に、それの接続を。
こうして、ストーリーは生まれてゆく。
posted by おおおかとしひこ at 11:21| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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