2018年01月09日

主人公の望みと、あなたの望みを違うものにすること

メアリースー対策をしよう。
メアリースーの呪縛は、気づかないうちにあなたを絡め取る。
客観性があるつもりなのに、
いつのまにか見失っていることがある。

そのひとつのコツ。
まず主人公の望みを明確にしよう。


それは、物語当初から決まっていてもいいし、
なんらかの出会いや影響を受けて、
途中で明確な形をとってもいい。

まず、主人公の望みを、
(絵で表せる)具体的な何かに決めたまえ。

それがない主人公は、目的なき遊びと同じで、
ただただ流されているつまらない主人公だ。
動機、目的、望み。
それらはひとつかも知れないし、
微妙に異なるかもしれない。

「彼女を助ける」が(具体的)目的だが、
その動機はセックスしたい、結婚したいからで、
本当の望みは幸せに暮らしたいからかもしれない。

まあとにかく、
その人物の深層心理にまで降りて、
その人物のカウンセラーのように、
表面には出ていない本当の望みを捉えよう。


で、ここからが本題。

それが、あなたの深層心理の願望と、
同じにしてはいけない、
ということである。

おそらく、優れた書き手ほど、
意図的に自分と違う望みにするだろう。
何故なら、自分と同じ望みを持つものに、
人は甘いからだ。
ご都合を用意して、その人物を庇ったり、可愛がったりしてしまうからだ。
なんなら、自分と同一視してしまう。

これが、メアリースーの正体だ。

優れた書き手は、そのミスをしないために、
わざと自分と違う望みの人間を描く。
そのほうが、突き放せるからである。

自分と違う望みの者を、
これでもかと苦境に落とし、
それでもそれを望む、
自分とは違う人間が、
必死に這い上がり、工夫し、他人を説得し、
危険を顧みず、邁進したり失敗する様を、
面白おかしく、
突き放して書けるからである。

お前がそう思うんなら、
そうしろよ。
そういう風に突き放せるからだ。

メアリースーの厄介なところは、
「自分可愛さ」に気づいていない所にある。
主人公=自分になってしまっているから、
無条件に幸福になりたいという、
ご都合主義を書いてしまうのだ。
繰り返しになるが、
それが気持ちいいのは作者一人で、
観客全員が不快であるということは、
知っておいたほうがいい。
あなたにとって自分はあなただが、
他人から見てあなたは他人だ。
他人がオナニーしているのを、
他人は不快に思うだろう。
試しに、
あなたが部屋に帰ったら、
知らない人があなたの部屋で汚いオナニーをしている所を想像したまえ。
他人のオナニーは、それぐらい不愉快だ。


さて。

主人公はあなたではない。
あくまで他人である。
だからこそ、
自分の望みを背負わせないほうがよいのだ。
全然違う望みならば、
「それが叶うためには、これとこれとこれが必要だろう」
と、叶うための必要条件を、
客観的に提示できるはずだ。

たとえば、
「有名になって金持ちになりたい」だとしたら、
「たとえば才能を磨いて誰かに認められ、
youtubeとかで有名になって、課金してもらえ」
とでも他人には言えるだろう。
じゃあ才能を磨くサブストーリー、
誰かに出会うサブストーリー、
youtubeで有名になるサブストーリー、
などを組み合わせて書くことが可能だ。

これがメアリースーならば、
「突然超可愛い子が結婚してと言ってきて、
金持ちの令嬢で処女で、
結婚したら親が死んで遺産が転がりウハウハ」
みたいな話を書いてしまうのだ。
なんでやねん、と全員に突っ込まれること必至である。

これが自分ならば気持ちいいが、
電車で向かいの席に座っている人の話だと思いなさい。
「都合よすぎだろ」と思うだろうね。
自分と他人の差である。


メアリースーは、自分と他人の混同なのだ。



ということで、
他人の、自分でない、望みを持つ者を考えよう。

「恋人をさらい殺した、自称キングを倒す復讐者」
は北斗の拳の主人公ケンシロウだ。
これはあなたの望みではなく、
ケンシロウという他人の望みである。

この、他人の望みに対して、
なんの関係もない観客全員を、
彼が望みを叶えるかどうかで、ハラハラさせるのが、
物語なのだ。



あなたの望みは沢山あるだろう。
それと関係のない世界と人間を、
創作することだ。
それが出来ない奴は、
創作物語のスタートラインに、まだ立っていない。
posted by おおおかとしひこ at 00:13| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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