メアリースー対策をしよう。
メアリースーの呪縛は、気づかないうちにあなたを絡め取る。
客観性があるつもりなのに、
いつのまにか見失っていることがある。
そのひとつのコツ。
まず主人公の望みを明確にしよう。
それは、物語当初から決まっていてもいいし、
なんらかの出会いや影響を受けて、
途中で明確な形をとってもいい。
まず、主人公の望みを、
(絵で表せる)具体的な何かに決めたまえ。
それがない主人公は、目的なき遊びと同じで、
ただただ流されているつまらない主人公だ。
動機、目的、望み。
それらはひとつかも知れないし、
微妙に異なるかもしれない。
「彼女を助ける」が(具体的)目的だが、
その動機はセックスしたい、結婚したいからで、
本当の望みは幸せに暮らしたいからかもしれない。
まあとにかく、
その人物の深層心理にまで降りて、
その人物のカウンセラーのように、
表面には出ていない本当の望みを捉えよう。
で、ここからが本題。
それが、あなたの深層心理の願望と、
同じにしてはいけない、
ということである。
おそらく、優れた書き手ほど、
意図的に自分と違う望みにするだろう。
何故なら、自分と同じ望みを持つものに、
人は甘いからだ。
ご都合を用意して、その人物を庇ったり、可愛がったりしてしまうからだ。
なんなら、自分と同一視してしまう。
これが、メアリースーの正体だ。
優れた書き手は、そのミスをしないために、
わざと自分と違う望みの人間を描く。
そのほうが、突き放せるからである。
自分と違う望みの者を、
これでもかと苦境に落とし、
それでもそれを望む、
自分とは違う人間が、
必死に這い上がり、工夫し、他人を説得し、
危険を顧みず、邁進したり失敗する様を、
面白おかしく、
突き放して書けるからである。
お前がそう思うんなら、
そうしろよ。
そういう風に突き放せるからだ。
メアリースーの厄介なところは、
「自分可愛さ」に気づいていない所にある。
主人公=自分になってしまっているから、
無条件に幸福になりたいという、
ご都合主義を書いてしまうのだ。
繰り返しになるが、
それが気持ちいいのは作者一人で、
観客全員が不快であるということは、
知っておいたほうがいい。
あなたにとって自分はあなただが、
他人から見てあなたは他人だ。
他人がオナニーしているのを、
他人は不快に思うだろう。
試しに、
あなたが部屋に帰ったら、
知らない人があなたの部屋で汚いオナニーをしている所を想像したまえ。
他人のオナニーは、それぐらい不愉快だ。
さて。
主人公はあなたではない。
あくまで他人である。
だからこそ、
自分の望みを背負わせないほうがよいのだ。
全然違う望みならば、
「それが叶うためには、これとこれとこれが必要だろう」
と、叶うための必要条件を、
客観的に提示できるはずだ。
たとえば、
「有名になって金持ちになりたい」だとしたら、
「たとえば才能を磨いて誰かに認められ、
youtubeとかで有名になって、課金してもらえ」
とでも他人には言えるだろう。
じゃあ才能を磨くサブストーリー、
誰かに出会うサブストーリー、
youtubeで有名になるサブストーリー、
などを組み合わせて書くことが可能だ。
これがメアリースーならば、
「突然超可愛い子が結婚してと言ってきて、
金持ちの令嬢で処女で、
結婚したら親が死んで遺産が転がりウハウハ」
みたいな話を書いてしまうのだ。
なんでやねん、と全員に突っ込まれること必至である。
これが自分ならば気持ちいいが、
電車で向かいの席に座っている人の話だと思いなさい。
「都合よすぎだろ」と思うだろうね。
自分と他人の差である。
メアリースーは、自分と他人の混同なのだ。
ということで、
他人の、自分でない、望みを持つ者を考えよう。
「恋人をさらい殺した、自称キングを倒す復讐者」
は北斗の拳の主人公ケンシロウだ。
これはあなたの望みではなく、
ケンシロウという他人の望みである。
この、他人の望みに対して、
なんの関係もない観客全員を、
彼が望みを叶えるかどうかで、ハラハラさせるのが、
物語なのだ。
あなたの望みは沢山あるだろう。
それと関係のない世界と人間を、
創作することだ。
それが出来ない奴は、
創作物語のスタートラインに、まだ立っていない。
2018年01月09日
この記事へのコメント
コメントを書く