ログラインとは要するに一行あらすじだ。
全体のプロットを書く前に、一言でいうとこういうこと、
と把握するために書くし、
途中で話を見失わない為にも確認するし、
あるいは途中で話を変えた時、
新しくログラインを変えて、
全体が歪んでないか確認するのにも使う。
で。
そのログラインとは、
全体の骨格でもあるのだが、
見る人の期待でもあるんだよね。
たとえば勧善懲悪とは、
「善が悪を倒す」とログラインを書ける。
(これじゃ物足りないから、
善の事情とか、ストーリーのヤマを足してもいい)
ということは、このログラインだと、
「善が悪を倒すときにスッキリする」
「その逆で、いかに悪が悪どいか、腹立つぐらいの状況になる」
「善に感情移入し、悪を倒すときにカタルシスを感じる」
などが、
観客の期待だ。
それに応えられていないものは、
ストーリーとして失格だ。
あるいはもう少しログラインに、
主人公の事情やヤマの情報が足してあれば、
「今までの勧善懲悪と違う、
新しい要素」が期待に上乗せされる。
勿論、これに応えられていないものは、
ストーリーとして失格だ。
ログラインは一種の予告編である。
結末まで書いたって構わない。
それが分かっていてなお面白いのがストーリーだ。
「主人公は死ぬのか?」を、
「主人公は死なないだろう」を分かっていても、
楽しめるのがストーリーだ。
楽しめないのは、要するに下手なのだ。
殆どのラブストーリーは、
「男が女に出会って恋を成就する」
(ボーイミーツガールストーリー)とログラインを書くことができる。
男女を入れ替えてもいい。
ついでに、各人物の事情を盛り込んで、
二行や三行にしてもいい。
これで期待されるのは、
「運命的な、ドラマチックな出会い方」であり、
「恋はうまくいくのかいかないのか」のヤキモキであり、
「恋がうまくいくときの全能感」だ。
勿論、ラブストーリーと勧善懲悪は、
大抵組み合わせることが出来て、
色々な要素を含んだものがモダンだとも言える。
いずれにせよメインを決めるべきで、
そのメインがログラインになる。
勧善懲悪がメインなのに、
ラブストーリーパートのほうがよく出来ているのなら、
そのログラインはラブストーリーを中心に書き換えた方がよい。
メインとは、
あなたのやりたいこととか、
スポンサーが合意したことではなく、
観客が最も楽しめる、
出来の良い部分のことである。
それがストーリーパートでなくて、
アクションやデザインであるとき、
それはストーリーじゃなくてガワだと僕は批判する。
どうしようもなかった漫画、
ファイアパンチは、
なぜどうしようもないのか?
それは、一話で示した、
ストーリー全体のログラインに、
何一つ答えていないからだ。
一話で示されたログラインは明快な、
王道的ダークヒーローもので、
「不死の能力者が、
消えない炎を克服し、
妹の仇を取る為に、
氷の魔女に閉ざされた世界を行く」
であったはずだ。
これから期待されることは、
「復讐完遂のカタルシス」
「復讐できるのか出来ないのかというハラハラ」
「暗い情念のダークヒーロー」
「不死を生かした、能力者同士のバトル」
「氷の魔女に閉ざされた世界の、英雄的、
もしくはダークヒーロー的な解放」
であったはずだ。
えっと、どれに答えたかな?
復讐完遂は、「気づいてたら殺してた」だった。
復讐への旅は、一直線すぎて迷路になっていなかった。
主人公アグニは暗い情念などなく、
度々記憶喪失になり、もはや何のために生きているのか不明だった。
不死を生かしたバトルはいくつかあったが、
能力者同士がその能力を十分に生かした、
素晴らしいバトルはなかった。
(ほとんど1ターンで終わってたし)
氷の魔女はいなくて、
ビッグマザーユダのご都合で世界は救われた。
かと思いきや放射能があり、
かと思いきや地球は割れてた。
つまり、ファイアパンチとは、
「期待をことごとく外す」
という芸人の芸であったのだ。
期待させるだけさせて、
それをことごとく外す、
ハシゴかけアンドハシゴ外し。
それがファイアパンチだ。
昔、音楽を作っていた知り合いがいて、
「乗りかけた所に変拍子にして、
延々乗りポイントを外していく音楽」
を作っていた。
「それの何がおもろいねん」
と聞いたら、
「乗りかけたら崩れるのがおもろい」
と答えていた。
それはつまり、
ハシゴ外しの面白さであり、
それは、
ハシゴをかけて期待した人を、
裏切って楽しむ、
間違ったコミュニケーションだと僕は考える。
表現は全能感を伴う。
みんなを集めて注目を浴びるからだ。
だから、
注目を裏切ってやれ、
と、逆張りをして悦にいるのも、
また全能感なのだろう。
それは間違っている。
民草を踊らせることが、本当の全能感だ。
もっというと、
民草の踊りと一緒に踊るのが、
本当の全能感だ。
民草が踊ろうと思っているところに、
逆張りをして踊らせないのは、
悪意しかない。
ということで、
ファイアパンチが、
いつかちゃんと完結すると期待していた人達は、
あの肩透かし意味不明最終回に戸惑い、
悪意を感じ、
怒りの鉾で吊るし上げにかかっている。
結局は、
期待に応えるのが怖くて、
逃げ出しただけだ。
それは、
前振りした期待感を、
満足させられるだけの自信がないからだ。
ちょっと上手いこと言うやつは、
大抵こうだ。
口先だけで期待させて、
結局何もしない。
そういうのを、詐欺という。
さて。
ログラインとは、期待である。
あなたはそれに、
もうお腹いっぱい!と大満足させる、
ストーリーを書かなくてはならない。
ログラインだけ面白くたって、
肝心のストーリーが面白くないなら、
何の意味もない。
(まあ世の中には、出来の悪いのを、
出来のいい予告編で釣る、予告詐欺は沢山あるんだが)
2018年01月09日
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