2018年01月10日

人工知能は物語を書けるか?

それはつまり、
人間はどのように物語を書くのか?
を知らなければならないということだ。

http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/5316637.html
の手法では、おそらく何にもなるまい。


ディープラーニングによる「認識」は、
ニューラルネットワークによる学習である。
ある情報を、
そのままの形ではなく、
「認識という形」で記憶する。
(この形は、ニューラルネットの構造に依存する)
で、ある刺激に対して、
認識した形(そのままの形ではない)
に近しいものを自動生成するだけだ。

この場合の自動生成は、
「文章の形式」に限られる。
チョムスキー生成文法を基礎とする、
品詞分解を行なった、生成構文がその学習対象であろう。
ざっくりいえば、
ランダムな名詞(それっぽい出現率の)に、
ランダムな形容(それっぽい出現率)が貼り付き、
ランダムな構文(それっぽい出現率)の、
形式的文章を自動生成するわけだ。

そこに意味はない。
それっぽい出現率のランダムな掛け合わせだ。

「階段から七ヶ月落ち続ける」は、
斬新な発想だが、
「AからBの間Cし続ける」という、
それっぽい出現率の構文の、
A B Cをそれぞれそれっぽい出現率のランダムな言葉が、
埋めただけである。

で、それじゃランダムすぎてばれるので、
ケータイによる予測変換を援用し、
人の手が入った感じにチューニングしたのだろう。

つまりは、
ディープラーニングによる自動生成は、
関連度の高い商品をお勧めしてくるamazonの
アルゴリムの、言葉版に過ぎないということ。

出現率の高い、それっぽい言葉を上手に並べるだけで、
それは文章になるか?
これが本題だ。

つまり、それっぽい言い回しが並ぶと、
それは物語然とするだろうか?
という問いである。


これは、僕がずっと言ってきていることと、
同じ所に帰着する。
「ガワをそれっぽく整えればそれはストーリーか?」
ということだ。
答えはノーだ。

ストーリーとは、中身のことでガワではない。
表現形式のことではなく、
表現された中身のことがストーリーである。


逆に考えよう。
ストーリーはどうやってつくるか?

A I的にいうと、メンタルモデルという仮説がある。
人間は頭の中にモデル(場所や人間や物体がある仮想空間)
を持っていて、それを操作することで思考する、
という仮説だ。
もっともらしいが、証明のしようがない仮説である。

物語を作るという行為は、
頭の中の仮想空間に、
仮想的な登場人物を置いて、
色々と動かすことではないかと思う。

で、彼らは動かされているのではなく、
自分から動かなくてはならない。
つまり、目的があるから行動をはじめる。
で、ただ達成するのはただの行動記録なので、
必ず登場人物同士が揉める。
目的や立場が異なるからである。
そのような事情や背景があるからこそ、
「はい解決」にならず、揉めるのだ。

これが、中身だ。

なんなら、文章という形式を使わなくても良い。
パントマイムで演じても良い。
人形劇にしても良い。
映画にしても良い。
勿論小説にしても良い。
しかし、様々なメディアに変換できる、
このストーリーなるものは、
我々の頭の中の仮想空間で、
仮想的な登場人物が、
なにかをしたりすることだ。
つまり、操作可能なメンタルモデルの軌跡として、
記述可能なもののはずだ。

だから、文章だけ真似したってストーリーにならないのだ。
同じストーリーを、
JKローリング風にも書けて、
村上春樹的にも書けて、
大岡俊彦的にも書けないと、
ストーリーを生成したことにはならないのだ。

何故なら、同じストーリーでも、
表現形は無限にあり得るからである。


表現形は目に見える。
しかしそれが表している意味、
メンタルモデルは頭の中にしかない。
そして、ストーリーの正体とは、
その、目に見えないもののほうで、
文章の表現形式ではない。


文章の表現形式は、
メンタルモデルに対して一意に決まらない。
単純にそうまとめることもできる。

だから、
どれだけ文章の表現形式を学習させたって、
ストーリーは自動生成できない。

ストーリーを自動生成するには、
それがどこか、
誰がいるのか、
目的は何か、
何をするのか、
そしてそれがどうなるのか、
を自動生成しなければならず、
それが、
リアリティがありかつ妥当で、
かつ面白くないなら、
それはクソストーリーというのだ。


今のところ、
ディープラーニングでは小説は書けない。
「小説っぽい表現」は可能だ。
とくにランダムなマリアージュは、
ナンセンスギャグには向くだろう。
七ヶ月階段から転げ落ちる、
というパワーワードは、つまりはナンセンスギャグである。


逆にいうと、
「意味をなす」とはどういうことかを、
私たちは真剣に考えなければならないだろう。


え?ファイアパンチ?
あんな意味をなさないクソ漫画、A Iで書けるだろ。
posted by おおおかとしひこ at 00:37| Comment(4) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
一部分が翻訳されていたので貼っときます。
http://cruel.hatenablog.com/entry/2018/01/09/180230
人工知能が物語を描けるようになるのはまだまだ先ですなぁ…
Posted by zoooo at 2018年01月10日 12:49
zooooさんコメントありがとうございます。
興味深く読みました。

思ったのは、「リレー小説に似ている」ということです。
リレー小説を戯れに高校のときにやったことがあるのですが、
「筆者が変わるたびに設定がリセットされて、
その時々の意識で書く」という特徴があります。

つまり、文脈やこれまでのことが、
段落ごとに保たれない(その度に変わる)ということ。

文脈やこれまでのことというのは、
つまりは作者と読者に共通に展開されたメンタルモデル、
ということですな。
これの同一性、連続性、リアリティ、首尾一貫性、
無矛盾性が保たれていないのは、
物語とは言えないと考えています。

勿論A Iが作るやつだけでなく、人間の作るやつもね。
Posted by おおおかとしひこ at 2018年01月10日 15:09
件のハリーポッターの新作、
どうやら人工知能が作ったというわけではないみたいです。
興味深い記事がありましたので参考までに。
http://nuwton.com/other/24347/
Posted by zoooo at 2018年01月17日 16:52
zooooさんコメントありがとうございます。

マルコフ連鎖、20年ぶりに聞いたなあ。
セミオートであると元記事にあったので、
この程度は予測の範囲でしたよ。
ていうか、取り上げる記事の記者が人工知能をよくしらないし、
物語がどうやってできるかも知らないのでしょう。

マトリックスで、脳にカンフーをダウンロードする場面がありますが、
ストーリーテリングをマスターするというのは、
その程度の技能だと初心者に誤解されているのでしょう。

もっとも、初心者ライターレベルの悪貨に、
良貨が駆逐されつつありますが。
Posted by おおおかとしひこ at 2018年01月17日 23:25
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