2018年01月10日

正統なる全シリーズ完結編(「ローガン」批評)

「ウルヴァリン:サムライ」なる珍品B級映画のあとだったから、
何も期待せずレンタルで見た。
一応ウルヴァリン最後だと聞いてたし、
その程度の期待だったよ。

大傑作ではないか。

1秒たりとも隙のない、
全シリーズの正統なる最終回だったと思った。


Xメンとはなにか。
異能者集団のスーパーヒーローバトルを描くのが、
テーマではない。
それはガワであり、モチーフに過ぎない。

これは欠落者が、人権を獲得するまでの闘いの物語である。


私たちは、
誰もが「自分は他の人に比べて劣ったところがある」
と感じている。
自分のこと、家庭のこと、生まれのこと、
育った環境のこと。
誰もが「人並」になれないことに不安を感じ、
劣等感を感じている。
若い時は若いなりに。
歳をとった時はそれなりに。

Xメンの「異能」とは、その比喩である。

「何かが欠損しているが故に、
何かがもたらされている」だけの話だ。
トータルで見れば、
誰もがプラマイなのかも知れないが、
人は自分が劣っていることを恥じる方を選ぶ。

Xメンは、
そのような、劣った人々の集まりである。

プロフェッサー、チャールズエグゼビアは、
彼らを集め、彼らを世間の攻撃から守った。
劣っているのではない、
それは優れた力の代償である、
その当たり前のことを教えていた。

しかしそれらは迫害の対象となる。
その代償すら奪い、
劣ったものを檻の中に入れようとする人々との闘いこそ、
人間であろうとする自由を希求する、
Xメンの闘いである。

なんのことはない。
つまりXメンとは、
人権を求めるものたちの闘いの、
漫画的な誇張に過ぎないのだ。


2000年に、
単なる特撮アクションとして我々の前に登場した映画には、
そのような「劣っているとされる者」
マイノリティたちの生存権=自由に生きて構わないか、
をかけた戦いという、
裏のテーマがあったからこそ、
単なるバトルアクションとは一線を画し、
映画たり得たのだ。

監督ブライアンシンガーはゲイで有名だが、
彼のセクシャルマイノリティが、
Xメンたちの、人権を得るモチベーションと重なっただろうことは、
想像に難くない。
2000年当時、ゲイはまだギャグの対象だったね。
今でこそマイノリティではないが、
当時はやはりマイノリティだったと感じる。




以下ネタバレ。





チャールズが最高だった。
彼こそ最初のXメンだった。
シリーズ開始当初からどうして彼がいるのか、
僕にはずっと分からなかったが、
そうか、彼は最初のXメンだったのかと、
彼の死に思った。

何も情報を入れずに見たから、
まさかこんなに落ちぶれている所からのスタートとは思わず、
最高の一幕に拍手した。
タンクに穴が開いていて、まるで昔のなんとかドームみたいになっているのが最高だ。


ここからXメン当時の学園を作るなぞ不可能だろう。
だとすると、
人権を希求する彼らの闘いは、
どうやって幕を引くのだろうと、
ずっと考えながら見ていた。

それが、ごく当たり前の、
家族に囲まれて普通に食事をする、
ただの一夜で終わったのが最高だ。


劣ったものは、人並になりたい。

ただそれだけなのだ。




僕はずっと、エデンは存在しないんだろうと考えながら見ていた。
たとえばエデンとは研究所だったとかね。

この物語は、そこに希望を持ってきた。
劣った者たちの、砦こそエデンだと。



私たちは望まずに生まれる。
私たちは望まずに劣る。
私たちは望まずに人生を終える。

それでもそれを継ぐ者たちがいる。


ラストシーンが最高だ。
十字架をXにするなんて、誰が考えたんだ。
天才じゃないか。

私たちはXを継ぐ、そう娘たちは宣言する。


チャールズが始めた、
Xという、劣った者たちの闘いは、
どう終われば良いのか分からない。

たとえばゲイは人権を得たが、
「彼らは違う人」として、
人々と混ざらずに別のコミュニティで生きている、
という感じである。

かつてニューヨークは人種のるつぼと呼ばれたが、
いつまでたっても融合し合わないので、
最近は、「ただ混ざっていて融け合わない」
という意味で、「人種のサラダボウル」というのだそうだ。

劣った者も、そうでない者も、
優れた者も、そのかわりどこか引っ込んだ者も、
うまく混ざり合える理想郷は、
どこにもないかも知れない。


彼らのその後の旅は、
おそらく原作で描かれるのであろうし、
マーベルは商売が続く限り完結させないだろうから、
自由を求める者の闘いは、
結論を出すことはないだろう。



チャールズよ、ウルヴァリンよ、
私はXを継いで行く。
君たちの闘いは無駄ではなかった。
Xメンシリーズを見続けてきて、
本当に良かった。
あのラストシーンを僕は一生忘れない。

これが映画だ。
僕はあのラストシーンに、一生影響を与えられるだろう。





毎回のことだが、
こんな傑作をヒットさせられない、
宣伝部と映画業界はもうダメだ。
クリエイターは傑作を作ることしか出来ない。
それで儲けられる収益構造をつくれや。
どうせ他に出てないキャラでスピンオフやり続けるだけなんだろ?
posted by おおおかとしひこ at 14:34| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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