2018年01月11日

そのキャラクターは、どこで責任を取るのか

それがクライマックスの場所だ。


キャラクターとあなたは別人である。
しかしそのキャラクターを理解するためには、
一回自分に置き換えて考えると分かりやすい。

あなたが、
自分の責任の範囲内で、
自由に出来る場所はどこ?

学生なら、友達のいるところとか、
自室とか、教室とか、
いつもたむろしてる所とか、
それくらいだろう。

社会人なら、会社の自席の半径数メートルかな。
部長なら、自分の島の範囲か。
あるいは、いつもいく店の範囲。
知り合い得意先なんでも集めて、
頼める範囲。貯金の範囲かもしれない。

子供なら、
自分の半径数メートルと、
親や親族の範囲。

クライマックスは、
そこでつける。

クライマックスとは、
責任を持って解決する瞬間のことだからだ。

勿論、自分のいつもの責任範囲の場所で、
責任行使をすることはなく、
どこか別の場所ですることになる。
それが冒険ということだ。

しかし、場所や文脈が多少大袈裟になろうと、
あなたがいつも責任を取るようにしか、
責任を果たすことが出来ないだろう。


さて、
キャラクターはあなたではなく他人だ。
だから、あなたのちっぽけな責任範囲より、
フィクション的に大きな範囲を持っている。

その人がいつも責任を果たすときは、
どういう場所でどういう感じでやっているかは、
一幕で設定されているはず。
その時から、
ギリギリ出来るギリギリの冒険の範囲で、
クライマックスは設定されるはずである。


つまり、
平凡な人が一人で世界を救うなんて有り得ない。
その人が誰にもない特殊能力があり、
それが救える唯一の手段であれば、
無理矢理には可能だ。
たとえば、一瞬で寝れるのび太が、
宇宙人が侵略してきたが、
互いの代表で早く寝た方が勝ち、
というゲームで決める、
という文脈になれば、
早寝が地球を救うことができる。


ストーリーが下手な人は、
すぐ凡人が世界を救う話を書きたがる。
平凡な自分が世界を救う全能感を、
架空の世界の中で得たいからだ。
それはメアリースーだな。
主人公はあなたではない。
別の人。

その人がいつもできる範囲の、
責任の取り方しか、
ストーリーの中では出来ない。
急に覚醒してパワーアップはしない。
現実のルールにのっとった、
リアルなことしか出来ない。

勿論、普段よりほんの少し勇気を出したり、
普段よりほんの少し無理をしたり、
普段よりほんの少し分の悪い賭けをすることは、
あるだろう。
その危険こそが物語だ。

しかしそれがリアリティある成功でないと、
ご都合と言われるだろうね。


それでも私たちは、
ちっぽけな凡人の小さな成功なんかじゃなくて、
偉大なる成功が見たいんだよね。

つまり、あなたみたいなちっぽけな人物を主人公にしてる場合じゃないんだ。
あなたよりもっと尊敬できる、
あなたよりもっと力強い、
あなたよりもっと信念のある、
あなたよりもっと能力のある、
他人を主人公にして、
その主人公ですらピンチに陥り、
自分の恐怖やマイナス面を克服しなければ前に進めない状況を作るのだ。

その他人が、
自分一人では全く解決できない難問に、
協力者たちと共に立ち向かい、
コンフリクトに遭い、つまりは反対されたり妨害されたりして、
それを正当な理由で乗り越えて、
最後にはギリギリ自分の責任で解決できる範囲で、
物事を見事に解決しなければならないのである。

その最後の際が、クライマックスになる。
posted by おおおかとしひこ at 11:58| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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