2018年01月15日

バカと和解せよ(ギフテッド批評2)

どうもなんか変だと思っていた違和感が、
どうやら言葉になった。

あの世界、大人たちが賢すぎる。


僕が京大という象牙の塔を出て、
東京で働き始めて知ったことは、
「バカが多すぎる」ということだ。
僕のIQはネットで30分くらいかかるテストをやってみて、
135と出た。
(ちなみに受験時代は理系偏差値で65から69)
IQ20違うと話が通じないというが、
僕は115以下とは話が通じないわけだ。

そういうときは向こうが登ってこれないから、
僕が降りていかないといけない。
面倒だが、ノーブレスオブリージュ、
と心の中で呪文を唱えることにしている。

あの元教授現ボート修理屋は、
バカをうまくいなす方法は教えてくれたかも知れないが、
まるで世捨て人のように、
バカのいる有象無象と関わり合いを避けていた。

ギフテッドの子供は、
バカと関わりあうチャンスを得た。
動物園事件でである。
しかしその一件は、拍手で昇華してしまったのが、
物語的に勿体ない。

バカの復讐が続けば良かったのに。
そうして本音で語り合うまで、
もめさせれば良かったのに。
そうやって象牙の塔ではなく、
泥沼での生き方を、学んでいけばよかったのに。

黒人の隣人も、黒人の弁護士も、
賢すぎた。
世の中はもっとバカに満ちている。

ギフテッドはだから孤独だと言うのに。


恋は、はじめて象牙の塔から出て、
泥沼の現実と出会う機会である。

出来るなら、死んだ母が、
その泥沼の対処法を伝えられれば良かったのかも知れない。

つまりは、あの鼻っ柱を折られたいじめっ子と仲良くなり、
恋の一つでもすれば面白かったのに。
ダメ男を選ぶ遺伝子との闘いをすれば良かったのに。

簡単に法廷劇に行ってしまった中盤が悔やまれる。


泥沼に飛び込まないで、
デウスエクスマキナで、
スマートに解決したとでも思っているのだろうか?

「世間は私立ではない」は、
サイバラの名言である(「毎日かあさん」)。
あの世界は、
全体的に私立の感じだったね。

そこが、小さくまとまってると感じた原因かも知れない。
posted by おおおかとしひこ at 01:08| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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