理想はこうかもしれない。
つぎはぎをすればするほど、
何故だかよくなくなっていく。
辻褄はあう。気になる棘は抜かれる。
伏線と解消の係り結びも整う。
しかし、第一稿の野性味が失われる。
新しい酒と熟成された酒のように、
単純に嫌なところがとれて丸くなるならいいのだが、
「完成度は高いが魅力がない」
というものになることが、
まれによくある。
リライトを重ねれば重ねるほどだ。
それを嫌ってリライトをしない人がいる。
僕はそれは間違いだと思っていて、
リライトで完成度を上げていくことはとても重要だと考えている。
問題は、
尖っていて野性味のあった魅力を、
スポイルしてしまう下手なリライトにあるのではないか。
完成度は高まったが魅力のないホンになってしまったときは、
どうすればよいのだろう。
僕はしばらく置くことが正解だと思う。
しばらく細かい都合から離れて、
大掴みに出来るくらいに忘れることだ。
で、改めて、第一稿を書き上げた時と、
「もう一度同じ手順」で書くことをおすすめする。
つまり、
白紙にログラインを書き、
白紙にプロットを書き、
白紙に一文字目から最後まで書く、
ということをするとよい。
驚くほど、
色々な都合が整理されながら、
かつ野性味のある状態で、
一から書けるはずだ。
注意すべきは、
「絶対に前に書いたものや資料を見ないこと」だ。
これは何をしているかというと、
「観客が初めて一気見する」を、
あなたも初体験している、
ということを意味している。
部分の都合をとっていると、
全体の勢いは削がれる。
ということは、全体としてどうかを考えなければならない。
しかしリライトというのは、
大抵は一行や数文字や数行、
広くても3シーンくらいの視野角しかないので、
狭窄に陥る。
それを忘れて、
俯瞰的視野かつ砂かぶりで、
楽しみながら予測しながら見るためには、
白紙からやったほうがいい。
あんなに苦労した分量を、
一から書き直すだって?
多分それが、一番合理的だ。
その為には、書く速度が速いことが求められる。
発音される音くらいで書けるのが理想だけど、
そこそこ速く書けないと、
その空気感やライブ感を失いがちだ。
僕は昔測定したデータによれば、
手書きで700字/10分程度らしい。
相当な悪筆で他人には読めないレベルで書く。
つまり、乗ってれば、
6000字を90分くらいで書く。(休憩含まず)
これを一日で3ターン書ける集中力と体力があれば、
起きてる間で映画脚本が一本書ける計算。
(10000字くらいまでは経験がある)
勿論この一日は、何かの大会決勝ぐらいに、
精神が高揚して十分に充実していないとできないから、
一週間に一日もあれば良い方だ。
書く日に決めてコンディションを整える必要があるくらいで、
終わったら抜け殻になる燃え尽きをする必要がある。
僕がここまでキーボード入力にこだわっているのも、
この数値を上げられないかと考えているからで、
一度自分の「書く速度」を何回かチェックし、
どれくらいのスペックなのかを自覚しておくといい。
(もっとも、入力速度に関わらず、
アウトプットのスピードは一定という経験則もあるらしい。
だとすると僕のキーボード研究は、
「手書き原稿のデジタル文字起こし」という用途特化かな)
で、元に戻ると、
書き手が意識を切らせたところって、
やっぱり見手も意識が途切れるんだよね。
演じられ、一気見される前提のものは、
やはり一気に書かれるべきだと思う。
一筆書き、というのはこういうこと。
見る人も一筆見なわけだから。
リライトが下手な人は、
一度試して見るといい。
部分に囚われていたことが、
出来上がったものと過去のものを見比べることで分かるだろう。
逆に、脳内でうまく混ざり合うまで、
忘れなければならないということが分かるだろう。
勿論、実際の作業でこれをするのは困難だろう。
一気に映画脚本を書ける人はたぶんいない。
実際の映画でも、
意図的な緩急で観客を休める場所がある。
(コメディリリーフなど)
つまり、
「観客の生理で書く」ことが、出来るかどうかなんだよね。
2018年01月18日
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