2018年01月18日

【薙刀式】音単位か、ことば単位か

親指シフトの同時押しが気になり、
いろいろ調べていくと、
「一音を一動作で打てるから気持ちいい」とよくでてくる。
ほんと?
おれは、
「ことば単位を一動作で打てるほうが気持いい」けどな。


一音一動作ってさ、
「さ い た さ い た  さ く ら が さ い た」
の世界だよね。
こんなふうに打鍵やことばを考えている人にとっては、
親指シフトの、
一音が一アクションとなっている仕様は気持ちいいだろうなあ。
僕は、
「咲いた」「咲いた」「桜が」「咲いた」
と4つのことばで構成されていると感じる
(さらには、「国語の教科書の一節」と1概念でとらえているかも。
あるいは「咲いた」「咲いた」「桜」「が」「咲いた」の5かも)ので、
4(5)動作で打ちたい。


勿論、「咲いた」が一つのボタンに対応していて、
「桜が」が一つのボタンに対応していればいいのかもしれないが、
それは速記のような考え方だと思う。
(ステノワードはそういう仕様のはず。
つまり、短縮入力をたくさん搭載したキーボード)

さすがにそこまでのスキルを磨く気はないから、
一個のボタンに一音のキーボードで頑張るしかない。
そうすると、
「ひとつのことばと、一連の運指」が記憶の対になってくる。

ローマ字でいえば、
「さくら」ということばと、
「左でちょろっとアルペジオして、右内側で二個、左で斜めに」
という運動が、一対のものとして記憶されるわけだ。
これは、
「ひとつの概念に、ひとつの運動」を対応させるということだ。
ロープの結び目で言語をつくるのと、
原理的にはたいして変わらない。
くさびの数と向きとで対応させているのと、たいして変わらない。
ひとつの新しい言語をマスターしているのと、
実は変らないのであると僕は思う。
言語が大げさなら、文字か。
忍び文字とか、ウルトラサインの世界だね。(どちらも古くてすまん)

ローマ字はそのパーツがごく少ない、
優秀なメソッドであると感じる。
だから「第二外国語」として、キーボードで広まったのだろう。

僕は、タイピングをこのようにマスターしているが、
どうもそれが親指シフトの人達とは違うのかもしれない。
僕は「さ」「く」「ら」じゃなくて、「桜」だ。
(「桜」と「さくら」は違うものとして僕は認識している。
「さくら」は入力かつエンターまでが一連)

もっとも、親指シフトの全員の意見ではないし、
初心者にわかりやすく書いているだけかもしれないが。

ちなみに薙刀式では、
「桜」は右内側から中央を通り左下に流れる、
わりと美しい運指になっている。
なるべく、美しい言葉は美しい運指にしたかった。
よく使う言葉が最適化されるよう、
無駄のない運指になることも重要だけど、
大切な概念が美しい運指になっているのも重要じゃないかなあ。
だって、配列って、
そういう新たなロープの結び目を発明することだからね。

そういうことを言っていたのは、飛鳥配列だけだったような気がする。
不勉強で他にもあったらすいません。
(星配列の開発記をみる限り、
それほど多くの言葉を埋め込んでいないような)

あとは、「どういう言葉がどういう流れに対応しているのか」
ということになると思う。
薙刀式は割とそこがいいと考えている。
(くわしくは薙刀式発表の記事に)
なかなか数値評価できない感覚的な部分だし、
書く文章の内容によっては、全然相いれないことになるが。

(カタナ式の時はローマ字だったから、
子音と母音にわけて考えられたから楽だった。
薙刀式では、どうにでも接続するカナの、
できるだけそういうことをしたつもり)


「ことば単位の運指の流れを、
片手アルペジオ優先でなるべく並べ、
できなければ左右交互打鍵」が、
設計の指針であった。
それでも、指がもつれる嫌なことばは出て来るかもしれない。
その言葉のチョイスが、言葉のセンスみたいなことだと思う。



で。
「さ く ら」は僕にはちっとも快適ではない。
老人ホームじゃねえんだ。
勿論「指がしゃべる」という速度、
分速200カナの基準に達すれば、
親指シフトといえども、運指単位と言葉が対応しているだろう。
その運動曲線があんまり奇麗じゃないので、
僕は親指シフト(ニコラ配列)が好きじゃない。

そういう感覚は、
配列をマスターする前に知りたいが、なかなか無理だよなあ。
打鍵動画でも分らない部分だよねえ。
ダンサーなら、だいたい理解できるのかね。
(親指シフトの、最高速の20分くらい打ってる動画が見たい。
画面と手元があるやつ。
親指シフトを普及させようとしてるんならやればいいのに。
機材や編集が難しいなら僕がやるよ。
やらないのは、教えることで儲けようとしてる人がいるからかな)



タイピングは身体運動だ。
といっても、
そう考えたこともない人はたくさんいて、
それが「さ く ら」レベルで満足してしまっているのかもね。
posted by おおおかとしひこ at 13:23| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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