理想の育て方を、ちょっと書いてみる。
・作家の思い込みや独りよがりを正してあげること。
なかなか客観的になることは難しい。
若い作家ほど自分の一つ目のアイデアに固執する。
それは、「もうひとつそれを上回るアイデアを出す自信」
がないからだ。
いくらでもアイデアは出せるし、
ダメだったら最初に戻れるとまず安心させてあげること。
最初のアイデアのほんの少し変えるだけで、
客観性のなさを変えられるかもしれない。
(足すだけでもいいし、引いたほうがいいかもだ)
そもそも作家は独善的である。
しかしその独善は通用しないと、
冷静に判断するべきだ。
こういう形なら世間は受け入れやすいと、
噛み砕いて説明してやると良い。
アイデアを練ることは、客観と主観を往復したり、
様々な視点からものごとを眺めてみることだ。
色々な角度からの視点を提供しよう。
あるいは、話していくうちに話が転がり、
新たなアイデアが生まれることもよくある。
アイデアの話し相手になってあげること。
その為には雑学的なこと、
広く浅く時に深くものごとを知っておくこと。
・流行との距離の取り方を教えること。
流行にただ乗っかっただけで、
名作なんて生まれるはずはない。
本気で作家を育てるつもりならば、
流行テンプレの作品を書かせるわけにはいかない。
そういうのを書かせるのは、
才能が尽きた捨て駒や、
全く違う畑の融合を狙う時だ。
その作家の個性を、流行で潰すべきではない。
しかしながら、流行に乗らない手はない。
「あなたなら、この流行りの題材を、
どういう風に転がすか見てみたい」
と、テンプレ通りに安易にやる作家を、
叱咤激励するべきだ。
「あなたの作品を見たいのであって、
人真似をしてる作品を見たいのではない」と、
正直にいうべきだ。
勿論流行テンプレは会議に通りやすいし、
資金提供もされるかもしれない。
しかしそれは一回限りの使い捨てだ。
歴史に残る才能は、
使い捨てからは芽吹かない。
使い捨てされる側に立てばそれは明らかだ。
誰があなたともう一度頑張りたいと言うのか?
・資料は的確に、広範囲に、深く。
面白くもない資料はいらない。
面白い資料だけでいい。
もし全く分からないジャンルなら、
あなたが一番詳しくなるべきだ。
入門者から上級者までの世界を知るべきだ。
それでいて、周辺分野の関わりや、
他の世界との関連性まで捕らえられているのがよい。
客観性確保のためである。
それでいて、深いところまでよく調べられて、
その上で取捨選択されるべきだ。
勿論、それを調べる上で初めて知ったことはメモするべき。
何故ならその「へえ」は、
世界のほとんどの、
それを知らない人の知的好奇心をくすぐるからだ。
・ブレてはいけない。
作家はブレる。その情緒不安定や、振り幅こそが、
登場人物や観客の感じるジェットコースターに比例する。
だからあなたも一緒にブレてはいけない。
首尾一貫し、同じスタンスからものを見るべきだ。
その不動点から、作品を批評するべきだ。
・的確な批評を。
アドバイスができなくても良い。
あなたが最も一般世間であれ。
その平均像であれ。
個人の好みと世間の好みを分離せよ。
個人の好みで作家性を誘導して殺すべきではない。
・そもそも物語が好きか。
あなたが、その作家よりも、
物語を沢山経験し、愛しているか?
それは既に完成された物語であり、
今目の前にあるのは、未完成の物語である。
完成のビジョンはこういうことかと、
作家に尋ねるからには、
古今東西の作品を知り尽くし、
そのどれかに似ているのか、
何にも似てないのか、
どれのどれを上回り、どれのどれを下回るのか、
的確に位置付けられない限り、
批評や確認すら出来ないだろう。
もしその作家に、〇〇の視点が足りないと思うなら、
「〇〇を見るべき」と的確なアドバイスができるべきだ。
ということは勿論、歴史に詳しい必要があり、
〇〇は△△の系譜であり、××のパクリでもある、
なんてことがわかっていなくてはならない。
・アドバイスは的確に。
あなたが作家を育てようと思う時、
飯を食わせたり女を抱かせるのではない。
作家が作家として成長するには、
どのようなアドバイスが的確かを、
人を育てるという観点で語らなくてはならない。
〇〇の真似をしろとか、△△の方法をパクれとか、
表面的なアドバイスしか出来ないのは、
育てることにならない。
つぎはぎして使い捨てになるだけだ。
・没の責任はあなたにある。
作家と世間の架け橋があなたの役目である。
没にするからには、それが世間と噛み合わないと考えたからだろう。
その判断は正しいのか、
死刑宣告する裁判官と同じ重さがある。
さて。
思いつく限り、理想の育て方を考えてみた。
ここでどんでん返しをするが、
こういう人はいない。
プロデューサーや編集者は、
こんなことをしてくれない。
勿論個人的に何かしてくれる人はいるが、
そんな人がいたらその親切に感謝するべきだ。
プロデューサーや編集者の役割期待は、
今こうではない。
彼らは会社のサラリーマンであり、
上司の首を縦に振らせて稟議を通すことが仕事で、
短期的利潤追求しか期待されていない。
その為には育てるよりも消費する。
作家は内輪ではなくアウトソーシングだからだ。
作家こそが業界の財産なのに、
作らない人が実権を握り金を動かすのが、
昔からの業界の仕組みだ。
個人的には育てようとする立派な人もいるが、
全員がそうだと期待するのは甘ちゃんだ。
あなたは、理想の育て人になり、
あなた自身を育てなければならない。
つまり、上のことは全部自分でやれ。
2018年01月18日
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