2018年01月18日

正しい作家の育て方

理想の育て方を、ちょっと書いてみる。


・作家の思い込みや独りよがりを正してあげること。
なかなか客観的になることは難しい。
若い作家ほど自分の一つ目のアイデアに固執する。
それは、「もうひとつそれを上回るアイデアを出す自信」
がないからだ。

いくらでもアイデアは出せるし、
ダメだったら最初に戻れるとまず安心させてあげること。
最初のアイデアのほんの少し変えるだけで、
客観性のなさを変えられるかもしれない。
(足すだけでもいいし、引いたほうがいいかもだ)

そもそも作家は独善的である。
しかしその独善は通用しないと、
冷静に判断するべきだ。
こういう形なら世間は受け入れやすいと、
噛み砕いて説明してやると良い。

アイデアを練ることは、客観と主観を往復したり、
様々な視点からものごとを眺めてみることだ。
色々な角度からの視点を提供しよう。
あるいは、話していくうちに話が転がり、
新たなアイデアが生まれることもよくある。
アイデアの話し相手になってあげること。
その為には雑学的なこと、
広く浅く時に深くものごとを知っておくこと。


・流行との距離の取り方を教えること。
流行にただ乗っかっただけで、
名作なんて生まれるはずはない。
本気で作家を育てるつもりならば、
流行テンプレの作品を書かせるわけにはいかない。
そういうのを書かせるのは、
才能が尽きた捨て駒や、
全く違う畑の融合を狙う時だ。
その作家の個性を、流行で潰すべきではない。

しかしながら、流行に乗らない手はない。
「あなたなら、この流行りの題材を、
どういう風に転がすか見てみたい」
と、テンプレ通りに安易にやる作家を、
叱咤激励するべきだ。
「あなたの作品を見たいのであって、
人真似をしてる作品を見たいのではない」と、
正直にいうべきだ。

勿論流行テンプレは会議に通りやすいし、
資金提供もされるかもしれない。
しかしそれは一回限りの使い捨てだ。
歴史に残る才能は、
使い捨てからは芽吹かない。
使い捨てされる側に立てばそれは明らかだ。
誰があなたともう一度頑張りたいと言うのか?


・資料は的確に、広範囲に、深く。
面白くもない資料はいらない。
面白い資料だけでいい。
もし全く分からないジャンルなら、
あなたが一番詳しくなるべきだ。
入門者から上級者までの世界を知るべきだ。
それでいて、周辺分野の関わりや、
他の世界との関連性まで捕らえられているのがよい。
客観性確保のためである。
それでいて、深いところまでよく調べられて、
その上で取捨選択されるべきだ。

勿論、それを調べる上で初めて知ったことはメモするべき。
何故ならその「へえ」は、
世界のほとんどの、
それを知らない人の知的好奇心をくすぐるからだ。


・ブレてはいけない。
作家はブレる。その情緒不安定や、振り幅こそが、
登場人物や観客の感じるジェットコースターに比例する。
だからあなたも一緒にブレてはいけない。
首尾一貫し、同じスタンスからものを見るべきだ。
その不動点から、作品を批評するべきだ。

・的確な批評を。
アドバイスができなくても良い。
あなたが最も一般世間であれ。
その平均像であれ。
個人の好みと世間の好みを分離せよ。
個人の好みで作家性を誘導して殺すべきではない。

・そもそも物語が好きか。
あなたが、その作家よりも、
物語を沢山経験し、愛しているか?
それは既に完成された物語であり、
今目の前にあるのは、未完成の物語である。
完成のビジョンはこういうことかと、
作家に尋ねるからには、
古今東西の作品を知り尽くし、
そのどれかに似ているのか、
何にも似てないのか、
どれのどれを上回り、どれのどれを下回るのか、
的確に位置付けられない限り、
批評や確認すら出来ないだろう。

もしその作家に、〇〇の視点が足りないと思うなら、
「〇〇を見るべき」と的確なアドバイスができるべきだ。
ということは勿論、歴史に詳しい必要があり、
〇〇は△△の系譜であり、××のパクリでもある、
なんてことがわかっていなくてはならない。


・アドバイスは的確に。
あなたが作家を育てようと思う時、
飯を食わせたり女を抱かせるのではない。
作家が作家として成長するには、
どのようなアドバイスが的確かを、
人を育てるという観点で語らなくてはならない。
〇〇の真似をしろとか、△△の方法をパクれとか、
表面的なアドバイスしか出来ないのは、
育てることにならない。
つぎはぎして使い捨てになるだけだ。

・没の責任はあなたにある。
作家と世間の架け橋があなたの役目である。
没にするからには、それが世間と噛み合わないと考えたからだろう。
その判断は正しいのか、
死刑宣告する裁判官と同じ重さがある。




さて。

思いつく限り、理想の育て方を考えてみた。

ここでどんでん返しをするが、
こういう人はいない。

プロデューサーや編集者は、
こんなことをしてくれない。

勿論個人的に何かしてくれる人はいるが、
そんな人がいたらその親切に感謝するべきだ。

プロデューサーや編集者の役割期待は、
今こうではない。
彼らは会社のサラリーマンであり、
上司の首を縦に振らせて稟議を通すことが仕事で、
短期的利潤追求しか期待されていない。
その為には育てるよりも消費する。
作家は内輪ではなくアウトソーシングだからだ。
作家こそが業界の財産なのに、
作らない人が実権を握り金を動かすのが、
昔からの業界の仕組みだ。

個人的には育てようとする立派な人もいるが、
全員がそうだと期待するのは甘ちゃんだ。




あなたは、理想の育て人になり、
あなた自身を育てなければならない。

つまり、上のことは全部自分でやれ。
posted by おおおかとしひこ at 14:16| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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