2018年01月19日

【薙刀式】なぜカナ入力は気持ちいいのか?

ここで言うカナ入力とは、欠陥だらけのJISカナ入力ではなく、
工夫された現代のカナ入力、すなわち、
薙刀式、下駄配列、飛鳥配列などで入力するときの話だ。

なぜカナ入力は気持ちいいのか?
「打鍵数が少ない」のは物理的理由だが、
それは気持ちいいの背景に過ぎない。

僕は、「原稿用紙を埋めていく感覚に近い」
からではないかと考えている。


親指シフト(ニコラ配列)が主張している感覚に、
「思考がそのまま文字にアウトプットされてゆく」
というのがある。
これは親指シフト特有の感覚ではなく、
十分に練られた、親指シフト以降の世代の、
合理的なカナ入力配列ならどれでもそうではないかと考えている。


JISカナ入力はやりにくい。
4段あるし右小指はキツすぎる。

親指シフト、薙刀式、下駄配列、飛鳥配列その他、
現代に作られたカナ入力は、
ほぼ3段にカナを収める。
キーは30個くらいしないから、
50個(以上)のカナを収めるには、
シフト機構を使って一つのキーに複数の音を乗せるしかない。

そのかわり、
「一つのキーを
(シフト込みだろうがシフトなしだろうが)押すと、
一つの対応するカナが出ることが、
ブラインドタッチ可能な範囲で実現している」
のである。

僕は30年くらいローマ字で打ってきて、
qwerty方式が気に食わなくてカタナ式なる配列を作った癖に、
この二ヶ月で突然カナ入力に寝返った。

それは飛鳥配列より下駄配列より、
自分の手に向いた合理の薙刀式を作れたこともあるけど、
「カナ入力の生理的な気持ちよさに気づいた」
ことのほうがデカイと思っている。



日本語の原稿を書くのに一番向いてるのは、
原稿用紙だ。
一文字ヒトマスというわかりやすさだ。

多少の例外(行頭に句読点が来ないようにするとか、
ルビは行と行の間とか、
三点リーダは二文字一組とか)をのぞいて、
全ての「一文字」が「ヒトマス」に入る。
それが日本語の活版というものだ。

アルファベットはこうはいかない。
一行の文字数なんて決まっていない。
行末が長そうならさっさと改行して、
あとはスペースの幅で印刷上調整する。

中国で活版は生まれた。
一文字ヒトマスだったからだ。
日本もそれを取り入れた。
だから日本語の、
印刷上の(つまりエディタの)基本ルールは、
原稿用紙だ。
マス目は入っていないが実質入っている。

(一方英文をワードで書いたりすると、
スペースの幅やカーニングで自動調整するよね。
日本語にはスペースの幅調整もカーニングもない)


ローマ字入力が生理的にどうも合わないのは、
「一文字または二文字を、
一文字または二文字または三文字で入力する」
という気持ち悪さでもなく、
「頭の中でローマ字に変換する手間」でもなく、
「一文字がヒトマスに入らないこと」ではないかと思う。

縦書きのローマ字は、実はまだましだ。
全角英字→ひらがなに置換されるから。
横書きのローマ字入力は、半角英字がうっとおしい。
(ほとんどのアルファベットフォントは等幅ではない)

だから僕はずっと縦書きローマ字を使ってきて、
横書きローマ字は極力避けてきた。
その理由は縦書きが日本語だから、
という生理だと思っていたのだが、
カナ入力をするようになって、
「一文字ヒトマス」が気持ちいいからだったのかと、
気づいたのだ。

濁音後付けは嫌いだ。
二文字ヒトマスだからだろう。

じゃ一打の拗音は?
仮名の拗音は小書きで構わないかも。
一打拗音は、漢字に威力を発揮する。
言うまでもなく読みから変換するからだ。

カナ入力は原稿用紙に書く感覚だから、
僕は、
ひらがなやカタカナを入力するときは脳内で音が出ない。
音が出るのは、漢字の読みを入力するときだ。

その時だけローマ字入力のように、一文字ヒトマスの原則が崩れる。
その時だけローマ字入力のように、脳内で声を出している。
その時、一打拗音はすごく効率がいい。

薙刀式での一打拗音や、
拗音から連接しやすい「う」「く」「つ」「ー」
などが片手アルペジオでいけるのは、
「音」を入力するため、と僕は考えている。


カナ入力は、
つまりは原稿用紙に活版印刷するようなものだ。
ひらがなカタカナは、脳内発声なしのそういう感覚。
ただし漢字だけ音声入力してる感じ。


漢字直接入力が出来れば、
この漢字の感覚も消えるのだろう。
そして手書きと同じになると思う。
そこまで流石にやれないので、
原稿用紙を一文字ヒトマスで埋めてゆく快感と、
音からの漢字変換のハイブリッドな感覚が、
カナ入力のいいところじゃないかと思っている。

これは一拍一打の下駄配列を打ってるときに、
なんとなく気づいてたことなんだけど、
自分で大量にカナ入力出来るようになってきて、
初めて言葉になった感じ。



親指シフトの人たちは、
脳内から思考が出て来るとか、
指が喋るとか、
オカルトみたいなこと言ってないで、
これくらいの言葉に落として来いや。

みんな同じこと言ってるのが気持ち悪い。
それは自分の頭で考えてないってことだ。

言葉を書く者は、他と表現が被らないのが常識だ。
posted by おおおかとしひこ at 00:01| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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