2018年01月23日

【薙刀式】脳内の発声

自分の例をまとめておく。


読書…脳内発声なし
漫画…効果音だけ脳内発声あり(ていうか音として聞こえる)
間を考えた台詞は脳内発声あり

手書き…脳内発声なし、ただし複雑なときだけ脳内発声あり
計算…脳内発声あり、一桁の足し算ぐらいはなし

ローマ字入力…脳内発声あり
フリック入力…脳内発声あり
カナ入力…脳内発声なし、
ただし漢字の読みを入力変換するときはあり


みたいな感じかな。

薙刀式からカタナ式に戻したときの違和感は、
二文字打つのめんどくさ、という手の反応であったが、
せっかく脳内が静かになったのに、
また脳内発声をしなければならないのか、
めんどくさ、
という脳内の感じでもあったことが、
なんとなくわかってきた。

というのも、会社のPCでqwertyローマ字を打つと、
脳内発声なしには打つことが困難だったからだ。

「脳内でカナをローマ字変換するのは面倒」というカナ派の人は、
脳内発声なしにローマ字を打とうとしてるんじゃないかな、
と想像してみた。

声を出すつもりで、声帯や口の代わりに手が動く。
ローマ字はそういう感覚だというのを、
一ヶ月くらいローマ字から遠ざかっていたので、
忘れていたよ。

ていうか、フリックも含めると、
行段系そのものが音声に近いんだなあと。

つまり、
「フリックやローマ字は言っている感覚、
カナは書いている感覚、
漢字変換は言っている感覚」
だと、僕は感じている。


勿論人によって違うだろう。
読書で脳内発声する人もいるし、
書くときに脳内発声する人もいるだろう。
こういうことで、配列の相性も変わってくるんじゃない?

たとえば同時打鍵って、言ってる感覚の方が近いよね。
各指をシンクロさせるのは、
時間軸を持つ音のほうが、
時間軸を持たない紙の上のことよりも近いと思う。
(同時打鍵系の下駄が馴染めなくて、
連続シフトの飛鳥のほうが手に馴染んだのは、
僕がカナを言うようにではなく、書くようにしたかったからかも。
飛鳥を挫折した理由は記憶負担の多さと指の器用度で、
感覚自体は好きだった)


たとえば、
濁点後付けは、書いてる感覚からすれば違和感ないけど、
言ってる感覚からすると違和感がある。
濁点前付けは、言ってる感覚だと問題ない
(口の形を作ってから音を出す)が、
書いてる感覚だと違和感がある。

他にも色々出てくるかも知れない。

たとえば、
親指シフトが「指が喋る」というのは、
言う感覚で書く人、つまり脳内発声ありの人に、
向いている可能性が高いと僕は感じる。

物書きにも脳内発声ありなしがあって、
ありの人は親指シフトを使う傾向にあるんじゃないか。

で、ありでもなしでも、無知ゆえに、
しょうがなくqwertyローマ字使ってるんじゃないか。

一回親指シフト試して挫折した人は、
脳内発声なしの人なんじゃないか。
そういう仮説が立てられることになる。

調査の仕方はアンケートしかないかな。
暇な方いたら検証してみてください。



で、
書くときに脳内発声ありの人はカタナ式か同時打鍵系、
なしの人は薙刀式か逐次打鍵系か漢直をやればいいと思うよ。
posted by おおおかとしひこ at 18:14| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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