2018年01月26日

ラストを前に尻込みする原理

毎回、第二ターニングポイントで終われるといいなあと夢想する。
打ち切りじゃないんだから、そうはいかないんだけど。


なぜそう思うのだろうか。
「評価が確定する」のが恐いからだろうね。
「俺たちの闘いはこれからだ」で終わってしまえば、
打ち切りで済んで、確定的評価から逃れられる。
「友達以上恋人未満」のフワフワ感、
浪人時代、ニート、モラトリアムの未確定感のまま、
終わってしまえればどんなに楽だろうと思う。


しかし主人公の冒険は、
終わりに向かう為に始めたことを、
第二ターニングポイントで確認することだ。
このまま終わってしまえば、
何もかも意味がなくなってしまう、
台無しになる、と、鼓舞することだ。

あるいは逆に問いかけるといい。
このまま打ち切られて、
評価が宙ぶらりんになってしまってもいいのか?と。
このままじゃ、主人公は永遠に家に帰れない、
そういう状態であるはずだ。
(逆になっていないなら、第二ターニングポイントが失敗している)

主人公以上に、作者が崖っぷちにいること、
それが第二ターニングポイントからクライマックスの、
パートかもしれない。


旅に出た主人公は、家に帰還しなければならない。
はじめたことはケツをもたなければならない。
火をつけたら責任をとらなくてはならない。
言いかけたことは最後まで言うべきで、
それが一体何になるのかを、言わなくてはならない。

自分が何か月か長い期間をかけてきたことが、
何の意味もないと分かったらどうしよう。
おそらくそれが、
第二ターニングポイントで作者が感じる恐怖だ。
これから書くことに価値がないかもしれない、
ここまで書いたことがそれで価値がないと確定してしまう、
そういう予感があるから、
恐怖してこれ以上書く気がなくなるのである。


だとしてもいいではないか。
主人公を家に帰してあげよう。
無事に帰れないストーリーなのかもしれないが、
始めたことは終わらせよう。
たいしたことないテーマに終わるかもしれないが、
それはやってみて判断すればいい。
やらない限りそれは判断できない。
駄目だと分かれば、よくなるまでリライトすればいい。
問題は終盤にではなく、序盤にあるかもしれない。
それは終わって整理するまで、判断することは出来ない。


いつもラストの前は、慎重になる。
それは一番長いシークエンスを書くことになるから、
段取りの準備だけで結構かかるのもある。
でも全部準備ができたら、
いい天気の日に、普通に書き始めるのがよいと思う。


さあ、最後の敵をやっつけて、うちへ帰ろう。
そう素直に思えたら、
それがクライマックスを書くのに、
相応しい時だ。

第二ターニングポイントは、
第一ターニングポイントにくらべ、
静かな場面であることが多い。
それは、作者の気持ちでもあるのかもしれない。


卒業式の朝を、
僕はよく思いだす。
さあ、最後の登校だ。
ひのき舞台に、胸張っていこう。

もう評価は決しているよ。
「終わり」と、書きにいくだけだ。
すべてをアルバムに入れるときが来たのさ。



二年ほどかけて書いてきた
「てんぐ探偵」のラストバトルのプロットが、
なかなか書けなくて逡巡している。

今日はいい天気でよかった。
posted by おおおかとしひこ at 14:21| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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