毎回、第二ターニングポイントで終われるといいなあと夢想する。
打ち切りじゃないんだから、そうはいかないんだけど。
なぜそう思うのだろうか。
「評価が確定する」のが恐いからだろうね。
「俺たちの闘いはこれからだ」で終わってしまえば、
打ち切りで済んで、確定的評価から逃れられる。
「友達以上恋人未満」のフワフワ感、
浪人時代、ニート、モラトリアムの未確定感のまま、
終わってしまえればどんなに楽だろうと思う。
しかし主人公の冒険は、
終わりに向かう為に始めたことを、
第二ターニングポイントで確認することだ。
このまま終わってしまえば、
何もかも意味がなくなってしまう、
台無しになる、と、鼓舞することだ。
あるいは逆に問いかけるといい。
このまま打ち切られて、
評価が宙ぶらりんになってしまってもいいのか?と。
このままじゃ、主人公は永遠に家に帰れない、
そういう状態であるはずだ。
(逆になっていないなら、第二ターニングポイントが失敗している)
主人公以上に、作者が崖っぷちにいること、
それが第二ターニングポイントからクライマックスの、
パートかもしれない。
旅に出た主人公は、家に帰還しなければならない。
はじめたことはケツをもたなければならない。
火をつけたら責任をとらなくてはならない。
言いかけたことは最後まで言うべきで、
それが一体何になるのかを、言わなくてはならない。
自分が何か月か長い期間をかけてきたことが、
何の意味もないと分かったらどうしよう。
おそらくそれが、
第二ターニングポイントで作者が感じる恐怖だ。
これから書くことに価値がないかもしれない、
ここまで書いたことがそれで価値がないと確定してしまう、
そういう予感があるから、
恐怖してこれ以上書く気がなくなるのである。
だとしてもいいではないか。
主人公を家に帰してあげよう。
無事に帰れないストーリーなのかもしれないが、
始めたことは終わらせよう。
たいしたことないテーマに終わるかもしれないが、
それはやってみて判断すればいい。
やらない限りそれは判断できない。
駄目だと分かれば、よくなるまでリライトすればいい。
問題は終盤にではなく、序盤にあるかもしれない。
それは終わって整理するまで、判断することは出来ない。
いつもラストの前は、慎重になる。
それは一番長いシークエンスを書くことになるから、
段取りの準備だけで結構かかるのもある。
でも全部準備ができたら、
いい天気の日に、普通に書き始めるのがよいと思う。
さあ、最後の敵をやっつけて、うちへ帰ろう。
そう素直に思えたら、
それがクライマックスを書くのに、
相応しい時だ。
第二ターニングポイントは、
第一ターニングポイントにくらべ、
静かな場面であることが多い。
それは、作者の気持ちでもあるのかもしれない。
卒業式の朝を、
僕はよく思いだす。
さあ、最後の登校だ。
ひのき舞台に、胸張っていこう。
もう評価は決しているよ。
「終わり」と、書きにいくだけだ。
すべてをアルバムに入れるときが来たのさ。
二年ほどかけて書いてきた
「てんぐ探偵」のラストバトルのプロットが、
なかなか書けなくて逡巡している。
今日はいい天気でよかった。
2018年01月26日
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